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2025年05月18日

2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

レイカディア大学34~38期生の共同主催により、甲賀市の上野城趾・滝川城跡を探訪地として城郭探訪OB会第90回例会が開催されました。今回は51名のOB会会員が参加しました。

上野城趾は、甲賀市甲賀町油日のJR草津線沿いの丘陵に存在し、城主は近隣の上野を領していた甲賀五十三家のうちの南山六家に数えられる上野氏と伝えられますが、城の歴史は不明です。甲賀の城に通有の単郭方形状の主郭を土塁で囲む城で、市指定史跡です。

また、滝川城跡は、甲賀市甲賀町櫟野に存在し、滝川一益が居城したことから、滝川城と呼ばれ、この地の名称から五反田城とも伝えられます。
滝川一益は、甲賀大原荘に生まれ、 16才まで在住した後、一族から出て織田信長の配下に加わります。石山本願寺攻め、伊勢長嶋一揆鎮圧者として武勇をあげ、信長四天王の一人に数えられます。伊勢長島攻めでは総大将で功績を挙げたことから、伊勢長島城主となりました。後には、武田攻めで関東一円を支配する管領となりますが、元亀元年(1570)信長の近江守護六角追討と六角氏を支援する甲賀武士を攻める大将に選ばれ、故郷の親類、同朋を攻めることとなります。さらに、本能寺の変後は、秀吉に敵対して降伏し、妙心寺で仏門に入りました。戦国時代の下剋上と悲話を物語る城跡です。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

例会コース(国土地理院地図を利用): 例会ではJR草津線油日(あぶらひ)駅からスタートして、甲賀市の甲賀上野城趾・滝川城跡を探訪しますが、白洲正子の「かくれ里」に登場する油日神社・櫟野寺(らくやじ)の拝観と、甲賀歴史民俗資料館見学も行いました。例会の総歩行歩数は15,000歩でした。
なお、滝川城跡のすぐ周辺にある滝川支城跡・滝川西城跡の内部は荒れており、中に入れないため、今回は訪問していません。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

まず、忍者屋敷がモチーフの駅舎のJR油日駅に集合しました。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

駅前での例会開始と城郭の説明: 上記の滝川一益のお話などを聞き、出発です。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

甲賀上野城趾縄張図: 最初に甲賀上野城趾の訪問ですが、城内は下記縄張図中の丸数字の順に訪問しました。縄張図はクリックすると拡大します。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

甲賀上野城趾の曲輪絵図(上の縄張図と方角を合わせるため、上下逆転させ表示しています。)
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

①甲賀上野城趾登城口: JR油日駅から草津線に沿って三重県方面に向かうと、集落を外れた所に甲賀上野城趾の登城口があります。見落としそうでしたが、「上野城址」の看板が立てられています。
この地は古くから伊賀の柘植とを結ぶ伊賀街道に面し、もとは伊賀との国境まで集落もなく野が続いていた場所で、国境に面する城でした。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

②甲賀上野城趾曲輪IIの土塁IV上: 登城口から竹の落ち葉で滑りそうになりながら斜面を登ると、縄張図では「IV」と記載された曲輪IIの土塁上に到達します。多くのヒノキが植えられ見にくいですが、ここから下方に曲輪IIが広がっているのが見えています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

③甲賀上野城趾曲輪II内部: 主郭の曲輪Iの北側には広い曲輪IIが広がっています。曲輪IIの西辺には、尾根を削り残した地形が大きな土塁IV(写真左側)となり、曲輪IIを防御しているのがわかります。この広い曲輪IIは国境付近という立地から、多人数の守備兵が駐屯できるように差別化された城の曲輪と考えられ、大規模な兵力の動員を想定した城であったと考えられます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

④甲賀上野城趾主郭虎口b: 主郭に入るため、虎口bへの急斜面を登ります。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

⑤甲賀上野城趾主郭内部JR草津線(西)側: 主郭は、外側からの高さが5mにも達する土塁によって囲まれています。主郭は丘頂を丸のまま使い切るため囲みの土塁は丸みを帯びていますが、典型的な甲賀型の城郭です。主郭虎口aは東側にあり、その外側には帯曲輪が数段連続しています。
この後、この帯曲輪を通って曲輪IIに戻ります。
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⑥甲賀上野城趾主郭虎口a: 虎口aから主郭を出て、帯曲輪I'へ移動します。その後、帯曲輪I'を通ってこの虎口cまで行きます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

⑦甲賀上野城趾帯曲輪I'虎口c の内側: 帯曲輪I'の北西側直下には、土塁を四角形に回り込ませ、虎口空間を曲輪の外側に設定する外枡形に類似した虎口cが存在します。ここから曲輪IIに下りました。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

⑧甲賀上野城趾曲輪II側から見た帯曲輪I'虎口c: 曲輪IIへは高所から下りてくることになります。甲賀上野城趾は伝統的な甲賀型城館の主郭に、新しい手法によって曲輪を追加し拡張したものということができます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

⑨甲賀上野城趾曲輪III付近: 曲輪IIを通って曲輪III付近にまで来たところです。城の東側(写真右側)を走る県道の敷設前に実施された発掘調査により、城からは16世紀後半~17世紀初頭の遺物が出土しており、甲賀上野城はこの年代に使用された城であることがわかっています。訪れて確認していませんが、この周辺(上掲縄張図⑧北側)には食い違い虎口も設けられています。
このことより、城自身が油日神社を中心とした上野同名中の支配領域入口という立地にあることから、甲賀の軍事的緊張の最末期に防衛を意識して発達した縄張に造られたと考えられます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

⑩甲賀上野城趾の油日駅(北西)側登城口: 登り始めた登城口よりもJR草津線沿いの油日駅に近い側に出て、甲賀上野城趾の探訪は終了です。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

木内(きない)城跡曲輪内側(北西面): 次の訪問地は、油日神社ですが、途中、木内城跡がありましたので、ここで軽く休憩を取りました。甲賀型単郭方形の城館跡ですが、県道131号線により、四角形の一辺が削られた形になっています。油日谷周辺は上野同名中の支配領で、ここも上野氏に関連する城館跡と考えられます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

木内城跡曲輪外側(東面): 写真中央より左側から左端の建物までが木内城跡で、手前が開かれたコの字型の土塁が残されています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

油日岳覗き窓: 油日神社まで来ましたが、その入口にある覗き窓で、ここから神体山(雨乞いを行います)の油日岳が見えます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

油日神社楼門: 室町時代に建てられた油日神社楼門です(重要文化財)。この日は時代劇の撮影の準備が行われていました。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

油日神社本殿と御神木の高野槙: 油日神社は、創建不祥ですが、聖徳太子建立と伝えられます。信頼できる文献として「日本三代実録」には、油日神が元慶元年(877)に従五位下を授かったことが記載されていることから、少なくともその時以前から存在するのは間違いのない甲賀郡の惣社です。
写真右の本殿は三間社流造で室町時代に建てられ、左の拝殿は桃山時代でともに重要文化財です。さらに写真で高くそびえる御神木の高野槙の名は、高野山に美しい純林があることから名付けられたと言われていますが、高野山にもこれほどの大きな木は残っていないとのことです。
油日神社では境内に隣接する甲賀歴史民俗資料館も見学しました。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

油日館跡碑: 油日神社横には油日館跡があります。上野同名中の上野氏が城主であったと考えられている日常生活のための館です。
この石碑の後ろ側一帯に油日館が築かれ、竹藪の中には館の土塁が一部残存しています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

油日館跡位置: 石碑前に設置された地図に本日のコースを書き込みました。油日神社参詣の後、油日館跡前を通って櫟野寺を目指します。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

櫟野寺(らくやじ)本堂: 次の訪問地として櫟野寺を訪れ、集合写真撮影・昼食後、本堂内で薬師如来などの仏像を拝観しました。
櫟野寺は平安時代初期(806年)に坂上田村麻呂により建立された天台宗の寺で、甲賀の仏像の宝庫とも言え、重要文化財の平安仏像が数多く安置されています。
本尊は奈良時代末期に最澄イチイの木に彫った十一面観音像(重要文化財・秘仏)で「いちいの観音」と呼ばれます(像高312cmは、半仏観音として日本最大級)。
また、甲賀三大仏の一つである丈六の薬師如来坐像(222cm)が祀られています(平安時代、重要文化財)。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

櫟野寺拝観後はすぐ近くの滝川城跡の訪問です。

下の縄張図の滝川城跡と滝川西城跡は、甲賀町櫟野(いちの)のうち、下組集落の南西、櫟野川(いちいのがわ)を隔てた南の丘陵に東西に並んでいます。
大原庄の東部、櫟野一带に蟠踞した滝川一族の本拠に関わる遺跡で、『近江輿地志略』には「瀧川氏居城の跡なりといふ」と記載されています。
東側の滝川城が滝川氏の本城と伝えられ、櫟野川を天然の堀とした平山城で、単郭方形状の主郭が土塁で囲まれ、滝川一益ゆかりの城です。市指定史跡となっています。
丸数字は写真撮影地点で、縄張図はクリックすると拡大します。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

①滝川城跡主郭(曲輪I)へ: 現在の滝川城跡への登り口は東北へ張り出した小尾根の下にあり、城門に上る急な道は小尾根の付け根から屈曲して主郭に入ります。
縄張図に基づくと主郭の南東に2ヵ所の平らな所があり、左右対称の櫓をもつ城門があったと推定されています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

②滝川城跡主郭北側の「山の神」: 北側の土塁は「山の神」を祀るために写真のように破壊された中央部以外は盛り上げられた土塁が完存しており、内外壁ともほぼ垂直に立ち上がっていました。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

②滝川城跡主郭北側土塁: 上述のように積み上げられた土塁が写真右側(北側)に立ち上がっています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

③滝川城跡主郭南側の池跡・曲輪II方面を見ました。主郭は東西46m、南北30mの広さがあり、シダや下草が生い茂り見えませんが南側には掘り残しの土塁があり、北側には先に見たように盛り上げの土塁があって、それらに挟まれています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

③滝川城跡主郭南側池跡: 南側土塁の最高所の懐に食い込むように四角いため池が掘られています。
城郭内に入れなかったことから、今回は訪問も確認もしていませんが、滝川西城にも同類の掘り込みの池(縄張図参照)があることから、耕地化に伴い造られたものかもしれません。なお、この主郭内にはチャノキの小さな木がいくつも生えているのが見られ、それらはここで栽培されていたものと考えられました。
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④滝川城跡腰曲輪III(主郭西側): 主郭(曲輪I)東西両側には土塁がありませんが、開墾により失われたのかもしれません。腰曲輪IIIは主郭の西側で一段低いところにあり、境界には写真のように安全のためのフェンスが張られています。
主郭の南側土塁の背後は大きく掘り切られ堀底が広く、その西側が帯曲輪IIとなっており、さらに、その帯曲輪IIの北側は鋭く落ち込んで、写真の帯状の腰曲輪IIIとなってこちらに回り込んでいます。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

滝川城跡の見学はこれで終了です。

滝川西城登城口: 滝川城跡訪問後は、滝川西城跡の西側を通って、その外観を見ながら、JR油日駅まで戻りました。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)

本日は、訪問する機会の少ない甲賀上野城趾と滝川城跡探訪の例会を設けていただき、滝川一益の足跡に触れることができました。
本例会を企画いただいた城郭探訪OB会34~38期会員の皆様に感謝いたします。

                            文責 岡島 敏広

次回は、2025年6月12日(木)に京都市如意ヶ嶽城址探訪が計画されています。

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Posted by joukaku at 06:43 │Comments(0)例会
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