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2024年12月11日

2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

レイカディア大学42期生主催により、彦根市の佐和山城跡を探訪地として城郭探訪OB会第85回例会が開催されました。今回は58名のOB会会員が参加しました。
例会では参加者はJR彦根駅に集合し、そこからスタートして、佐和山城大洞弁財天(長寿院)を訪問した後、JR彦根駅にまで戻りました。例会の総歩行歩数は13,000歩でした。
なお、佐和山城には初夏に別のルートからも登山しています。
その様子はこちらをご覧ください。

佐和山城には、鎌倉時代(1190年代)の築城から1606年の廃城まで長い歴史がありますが、文禄4年(1595)に、石田三成が佐和山城主となった時代に、城が拡張整備され、天守も建てられました。その時の統治が、私腹を肥やすことなく善政で、「佐和山城」=「石田三成の城」くらいにも伝えられています。
ちなみに、関ヶ原合戦で、家康に従軍した板坂卜斎は、陥落した佐和山城には金銀が少しもなく、三成は殆んど蓄えを持っていなかったと記しています(『慶長年中卜斎記』)。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

本日は彦根の町から日常的に見える佐和山にある佐和山城を探訪します。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

暖冬の本年は、12月に入っても紅葉が残っていたことから、佐和山城への登山には色とりどりに彩られた登城路を辿る例会となりました。佐和山城登山で最もポピュラーな「かもう坂通往還(龍潭寺越)」から登るために、東山公園グラウンドとJR琵琶湖線に挟まれた通路を、登り口のある龍潭寺に向かって歩きます。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

祥壽山清涼寺: 佐和山城のある佐和山は、井伊直政公を開基として1603年に創建され、井伊家代々の菩提所となっている清涼寺の寺有地です。
グループで登山する場合は清涼寺の許可を得る必要があることから、まず、ご挨拶に訪問しました。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

弘徳山龍潭寺前での集合写真: 登山前に登山口である龍潭寺と紅葉を背景に参加者の集合写真を撮影しました。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

龍潭寺の石田三成像: 今回は訪問しませんが、龍潭寺には石田三成に因む遺品や物品がたくさん収集されています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

龍潭寺が佐和山への登山口ですので、そこから伸びる「かもう坂通往還(龍潭寺越)」を登ります。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

かもう坂通往還の堀切(切通し): 登りきって、右に曲がり、先に進むと西の丸跡下段に到達します。この切通しは佐和山城の北西方面尾根を防御するために設けられた堀切をそのまま往還に利用しているものです。
切通しのすぐ南側(右側)には櫓台状の高まりが確認され、番所などの施設が存在したと考えられます。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

かもう坂通往還峠付近: 右に曲がり、櫓台状の高まりから、かもう坂通往還の龍潭寺側を見ています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

西の丸跡下段 塩硝櫓(焔硝櫓): 写真は西の丸跡北西端部(下段)に位置する土坑(穴)で、西の丸跡に入ってすぐにあります。下段の曲輪はかもう坂通往還を見下ろす位置にあり、その立地より搦手からの敵の侵入を防ぐ役割を担っていたと考えられます。写真の土坑の用途は不明で、説明板には「謎の土坑」と記載されていますが、2015年に発掘調査されています。穴を掘った目的は明確にはわかりませんが、半地下の施設があったのではないかと思われます。
この曲輪には多数の瓦片が散乱しており、城が機能していた当時、塩硝櫓(焔硝櫓)とありますから、火薬の原料となる硝石を保管した瓦葺の建物(櫓)が存在していたと考えられます。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

西の丸跡の縄張: 本日西の丸跡で歩いた探訪コースを縄張図に書き込みました。上写真の土坑と下写真の竪堀の位置(赤矢印)を示します。西の丸は「かもう坂通往還」の切通から本丸に至る途中に築かれた丸を総称して呼んでいます。井伊家に伝来する佐和山城絵図では西の丸跡には3段の曲輪が描かれ、上段が「焔硝櫓」、下段に「塩櫓」と記されています。しかし、現在は下段を「焔硝櫓」と通称して、名称に混乱が見られます。
井伊家の絵図には描かれていませんが、下の縄張図のように北西に伸びる尾根(写真左下)にも2段の曲輪が明瞭に確認できます。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

西の丸跡中段・上段間の竪堀: 倒れた竹の下から写真左の細い木の幹に向けて竪堀が掘られています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

本丸跡での集合写真: 本丸跡に到着し、まず、参加者の集合写真を撮影しました。本丸跡は彦根城築城に際して10mほど切り崩されたという伝承があるように、周囲には城郭遺構は認められませんでした。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

本丸跡から見える彦根城: 本丸跡からは眺望が優れ、本日の天候もあり、彦根城が綺麗に見えました。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

算木積みの隅石垣: 本丸跡から南側に下りると、天守の基部を固めていた算木積みの隅石垣の遺構がたった2つですが残存しています。隅石垣の基底部と思われます。
本丸跡の外周が調査されていますが、ほぼ同じ高さの7箇所で新たに基底部らしい石垣が見つかっており、本丸跡の石垣の想定ラインを復元する上で貴重な情報とのことです。他の曲輪などにも少しですが、石垣は残されているようです。
1910年出版の『彦根山由来記』p.25によれば、井伊氏は彦根城築城に際して、佐和山城など4つの旧城(他に大津、安土、長浜)より石材を転用したとされ、実際にも佐和山城の石垣は、材料調達や築城時間を節約するため、彦根城築城の材料として持ち去られています。
その後、三成時代の治政を忘れさせるよう、跡形もなくなるまで徹底的に破城されています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

千貫井: 佐和山の南斜面にある城中の飲料水として用いられた井戸で、岩間を流れた地下水がここに湧き出ていたと考えられます。渇水することがなく、山上に築かれた佐和山城にとって、金千貫の値打ちがあるほど貴重な水資源であったという意味で命名されたものです。
しかし、今回の訪問時には水がなく、1年前訪問した時には濁った水を湛えていましたが、城内の名水であったと言われています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

崩れた千貫井の小屋: 戦前、彦根商業高校学生が掘り直し、屋根のある小屋も設けられて、下の旧写真では形を保っていますが、今は手入れも不十分で小屋や囲いも朽ちかけています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

水の涸れた2024年の千貫池   千貫井と千貫池の旧写真
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

2023年初夏の水を湛える千貫池
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

千貫井訪問後は、南にある太鼓丸跡へ向いました。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

太鼓丸跡入口: 入口まで到達しましたが、こちらはロープが張られていて立入禁止でしたので、この先は訪問しませんでした。この先の太鼓丸跡には2段の曲輪があるそうです。
太鼓丸跡に行かれた方がいますので、こちらのブログの報告をご覧ください。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

太鼓丸跡入口西(琵琶湖)側の竪堀: ロープが張られている地点の西(琵琶湖)側には、写真右の尾根道から左の谷底へと竪堀が掘られています。
この反対の東(鳥居本)側には大手門から佐和山城本丸へと続く登城道がありますが、現在は使用されていないことから荒れて藪になっており、通行不能となっています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

紅葉の本丸跡: 太鼓丸跡入口まで行き、そこから引き返して、紅葉の本丸跡に戻り、しばし昼食休憩となりました。本丸跡は東西約100m、南北で約45mほどの広さがあります。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

昼食: 本丸跡で紅葉と彦根市街を眺めながらの昼食です。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

以下は、2023年に訪問した時の報告と重複しますが、本丸の情報を記載します。
本丸には五層の天守が建てられていたと言われています。在りし日の佐和山城をイメージするため、天守に係る絵図を集めてみました。以下に示します。

西明寺蔵 佐和山城合戦図絵馬(部分): 元禄15年(1702)に石田三成旧臣の子孫が奉納したものです。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

その他には、
i, 「澤山城図」滋賀県犬上郡多賀町多賀大社蔵「多賀大社社頭絵図」
ii. 大手口からの佐和山城
iii. 石田三成居城・佐和山城搦手鳥瞰図(石田三成同族会と友の会保管)
iv. 関ヶ原合戦翌日、徳川軍は佐和山城を攻め、落城しますが、そのときの記録に「てんす(天守)やけ(焼け)申候」とあり、焼けた瓦等は見つかりませんが、佐和山城天守は焼け落ちたことが知られています。井伊家の菩提寺・龍潭寺にその記録に符合する佐和山城落城の屏風絵が伝わっています。
ちなみに、城主や家族は、通常、詰めの城の倉庫のような天守には居住せず、石田三成の場合は佐和山南西山麓のモチノキ谷にあった石田三成屋敷に住んでいました。

大洞弁財天(長寿院弁財天堂:
佐和山城跡訪問後は、大洞弁財天)を訪問しました。元禄8年(1695)に彦根藩主井伊直興が、領内の安泰と彦根藩領内にあったかつての古城の主237人を慰霊するために、彦根城の鬼門にあたる地に当寺を建立しました。

   井伊直興
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

弁財天堂は寺院建築に例の少ない権現造(ごんげんづくり)の形式をとり、極彩色の彫刻が各所に見られるなど、日光東照宮との共通性を見て取れますが、これは直興が元禄元年(1688)に日光東照宮修復の奉行に命じられ、工事の指揮をとっていたことが影響していると考えられます。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

楼門: 元禄8年(1695)に建てられたもので入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚楼門で、二天門との別称あります。この楼門上層部には高さ10cmほどの大黒天像4千体が安置されています。その大黒天像は、かつて松原内湖に掛けられていた百間橋が、佐和山城落城後解体され、その木材で1万体作られたと伝えられ、触ると腹が痛むと言われます。
下層部正面左右には毘沙門天像、堅牢地神像、裏の左右には白狐像が安置されています。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

百間橋大黒天像
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

楼門からの彦根城: 楼門から額に入れた絵のように美しい彦根城が見え、それを堪能した後、大洞弁財天を離れました。
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」

大洞弁財天訪問後は、JR彦根駅に戻り、本日の例会は終了して解散となりました。
本日は城郭だけでなく、紅葉も同時に楽しむことができました。例会実施にご尽力いただきました42期OB会員の皆様に感謝いたします。

なお、本例会の佐和山城は佐和山城下町(琵琶湖側)佐和山城下町(鳥居本側)彦根城彦根城下町とも大きく関連していますので、興味ありましたら、リンク先の説明もご覧ください。
                              文責 岡島敏広

次回は、2025年1月15日(水)に多喜山城址探訪が計画されています。

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