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2023年02月27日

2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

「大津城跡と膳所城跡」を探訪地として、草津校43期園芸学科AとBの合同担当により2月25日(土)第102回例会が開催されました。今回は73名(42期9名、43期26名、44期38名)の会員が参加しました。

本日のコースは以下の通りです。
①大津市役所前⇒②三井寺⇒③三尾神社⇒④琵琶湖疏水⇒
⑤大津城跡の石碑・浜大津港⇒⑥義仲寺⇒⑦和田神社⇒⑧膳所神社⇒
⑨大津市科学館⇒➉膳所城跡公園

①大津市役所前でコースの説明をして出発です。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

今回は、上記コースのように名所旧跡を多く巡りましたので、城郭に関連した説明巡った探訪コースに関連した説明に分け、解説します。
本ブログでは城郭に関連した説明を行います。
大津城については、本ブログの別の報告にも解説されています。

大津城遺構説明
大津城は豊臣秀吉により坂本城が廃城とされた後、城と城下町を移して建設されました。浅野長政に命じて新たに築城され、
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

その後、城主は増田長盛、新庄直頼と代わり、文禄4年(1595)に京極高次が城主となり6万石を与えられました。
城の規模や概念図については、明治35年(1902)に発表された『大津籠城』の中の「大津城廓図」が初めてで、昭和4年に発刊された「大津城攻防戦闘要図」、および昭和14年に郷土史家田中宗太郎氏が作成した「大津城考証図」などから、、昭和55年(1980)発刊『新修大津市史』第三巻の「大津城復元図」において大津城の姿が復元されました。下図のように、背後を琵琶湖として東は大津駅周辺、西は琵琶湖疎水、南は京町通りまでが外堀であったと推定されています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

大津城天守(彦根城天守の前身建物)の推定図/昭和35年滋賀県調査より: 彦根城天守が大津城を移築したものと伝えられていることから、彦根城天守の解体修理時に調査した結果に基づき、前身の建物(大津城)を推定し、描かれた図です。天守は望楼型の4重5階であったと考えられています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

大津城本丸北端の石垣(上写真)と三の丸の石垣(下写真): 大津城の石垣等は膳所に移されていることから現存しませんが、浜大津が埋め立てられる前には本丸や三の丸の石垣が一部残っていたようです。
田中宗太郎著『大津城の研究』より
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

②三井寺観音堂の高台: 関ヶ原の戦いの時、関ヶ原に向かう西軍の毛利元康立花宗茂らは京極高次の立て籠もる大津城にここから大砲で攻撃しました
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

ビルが建ちわかりにくいですが、写真中央に琵琶湖ホテルの緑色のビルの先がわずかに見えています。大津城のあったその辺りめがけて大砲を撃ちました。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

逆に、浜大津駅の方から、大砲が放たれた長等山を見た風景です。当時はビルはありませんが、現在でも山の中腹に大砲の放たれた場所が見えます。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑤浜大津駅前の「大津城跡」の碑です。当時は京阪線のある場所辺りまで、琵琶湖が迫っていましたので、この碑の位置は昔は湖上であって、本丸の北端辺りで、地図の「現在地」と記載された地点に相当します。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)


④【大津城外堀】 写真は琵琶湖疎水を琵琶湖(北側)に向かって眺めたところです。この右(東)側には、下の写真のように、水はありませんが百々川が残っております。これらの両者を含めたものが、「大津城復元図」に示されるように大津城の外堀西側に当たります。
また、この琵琶湖疎水の石垣は膳所城廃城後の石垣が利用されたといわれています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

④琵琶湖疎水東側の百々川(南に向かって撮影。右の道路の向こう側に琵琶湖疎水が有ります)
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

【大津城中堀】 江戸時代に大橋堀・川口関など湖岸の荷揚場として利用されており、その堀跡は昭和期に至るまで残されていました。
中堀西側・・・『川口関』に該当(現在の川口公園あたり) 。
中堀東側・・・『扇屋関』に該当(NTT大津営業所あたり)。

川口関
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

大津城廃城後の寛保2年(1742)の絵図ですが、大津の町は下図のような商業都市の姿に生まれ変わりました(この図は上が南で、クリックすると拡大します)。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

大津代官所表門: 大津城廃城後、大津城本丸跡地は上の絵図のように、「御蔵」と「御代官(代官所)」になりました。
写真は現在の長等小学校の前身、大津西尋常小学校の表門で、元大津代官所の門であったと伝えられています。現在は存在していません。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

石場の常夜燈: 幕末の弘化2年(1845)に建てられたもので、石場津と対岸の矢橋(やばせ)間の渡し船の目印とされました。昔は大津警察署裏にありました(その頃の写真はこちら)ので、そのあたりまで湖岸が迫っていたことがわかります。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)


膳所城遺構説明
慶長5年(1600)の京極高次の大津籠城戦の翌年に大津城は解体され、天守は彦根城へ、その他の部材は膳所に移され膳所城の築城が始まりました。築城を命じた徳川家康は、ここに三河以来の譜代大名戸田一西(かずあき)を配して、大津には商業都市としての役割を残し、隣接するここ膳所には政治的役割を持たせました。

下図は膳所城築城当初の縄張図
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

膳所城の湖上(北側)から見た姿が近江名所図会に描かれています。(図のクリックにより拡大)
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑨膳所城のジオラマです。近江名所図会とほぼ同じ北東方向から撮影したもので、上の図会と比較できます。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

膳所城下町北総門跡碑: ここに総門があり、膳所城下町の北の入り口でしたが、その門は残されていません。
膳所城下町は、城が水城であるため、堀の外側の東海道筋に面して町家を配し、その外側に一般の侍屋敷が配置されていました。さらに、城の防御に加え、城下町を大きく錯覚させるように、街道筋の屈曲を多くした(下写真)ことから、街並みが長く「膳所の褌(ふんどし)町」といわれる所以となっています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑦和田神社 藩校遵義堂(じゅんぎどう)門表側: この先にある膳所神社のすぐ近くに膳所高校がありますが、膳所藩の藩校遵義堂の跡に建てられています。そちらにあった門が移築されています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑦和田神社 藩校遵義堂門裏側: 高麗門
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

響忍寺(こうにんじ) 表門 膳所藩家老屋敷長屋門表側: 響忍寺は膳所城周辺にありましたが、火災により焼失。宝暦元年(1751)に膳所藩家老・村松八郎右衛門屋敷跡に再建された寺です。表門と中門には屋敷門が使われていますとの情報を得ていましたが、
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

響忍寺表門裏側: 表門は健在でしたが、中門は取り壊されてなくなっていました。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

膳所城中大手門跡碑: ここは丸の内町2番街区の南西角付近で、実際の中大手門の位置は大手門通りを膳所城跡公園に向って少し下ったあたりでした。中大手門はその後どうなったのか、まったくわかりませんが立派な門であったことが、膳所城郭明細図に描かれています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑧膳所神社表門表側: この表門は、明治3年(1870)に膳所城が廃城となった後、膳所城の二の丸と本丸の間にあった城門を移築したと伝わっており、明暦元年(1655)の銘札が発見されています。
門は、脇戸付き薬医門、切妻造、本瓦葺で、両開きの大扉の左側に脇柱を建て、方開きの潜戸(くぐりど)となっています。木柱の心材には、それ以前の仕口がみられることから、大津城の材の転用が考えられています。屋根瓦には、膳所城主本多氏の立葵(たちあおい)紋が見られます。銘札により建築年次がはっきりしているため、大正13年(1924)4月に国の重要文化財に指定されました。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑧膳所神社表門裏側: 薬医門
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑧膳所神社北門表側: 本丸土橋門です。この門の最大の特徴は、太く曲がった柱を用いていることで、木材の調達や加工よりも、戦に備えていち早く築城することを目的にしたと思われます。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

⑧膳所神社北門裏側
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

大養寺 膳所藩家老屋敷長屋門: 今回のコースから少し外れ、膳所神社から東海道を少し南に行くと膳所の六門(長屋門)の1つが残されています(ここと響忍寺、敬願寺の門が現存)。寺は文応元年(1260)に開基された浄土真宗仏光寺の末寺です。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

➉膳所城跡公園模擬城門表側: 本丸跡は、膳所城跡公園として整備されて、その入り口に模擬城門(高麗門)が建てられています。模擬城門とは呼ばれていますが、これは膳所城下町南端の勢多口総門を正確に復元したもので、東海道を往来する旅人が城下町を出入りする際に通った門です。この門の本物は膳所城廃城後、建部大社に移築されていましたが、現在は個人に譲られて大阪府泉大津市に現存しています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

➉膳所城跡公園模擬城門裏側: 高麗門
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

➉膳所城跡公園(本丸跡)の膳所城址碑と天守跡碑: 膳所城は廃城となって、民間に売却されましたが、その売却額は1,200両で、現在価値の1億円に満たない安価な額でした。
城門などは移築されて現存するものが多いですが、天守は行方不明のままです。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

二の丸跡にある膳所浄水場の平櫓風「浄水施設」: 周囲の景観に配慮した浄水施設が二の丸跡に建てられています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

旧膳所城二重角櫓: 今回は訪問の機会がありませんでしたが、大津市秋葉台に二重角櫓が芭蕉会館として移築されています。芭蕉会館となる前は、写真のように、料亭坂本屋に買い取られて、飛竜の間として利用されていました。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

また、栗東市岡349番地に長徳寺(栗東市林)に移築されていた大手門の枡形の一の門(高麗門)と伝わる門があります。長徳寺では山門の建替えに伴いこちらに移築されています。立ち葵紋の瓦があり、寛文2年(1663)の地震直後に建築されたもと思われます。三葉葵紋の瓦も6枚含まれています。
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

新宮神社(草津市野路6丁目)神門: さらに、新宮神社には境内の目立たない所に設置されていますが、この小さな門は膳所城の二の丸水門が廃城後に移築されたものと伝わっています。

表側
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

裏側
2023年2月25日(土)第102回例会「大津城跡と膳所城跡」(城郭編)

今回のコースにない膳所神社より南にある神社に移築された膳所城の門については、本ブログ内の「膳所城 城下町、膳所五社巡り」を参照ください。

本会の準備・運営に協力いただきました皆様、参加いただき会を楽しく盛り上げていただいた皆様に感謝いたします。
次回例会は2023年3月30日(田中城跡と玉泉寺)に予定されています。   文責 岡島 敏広

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