2023年06月05日
2023年6月3日(土)第106回例会「豊臣秀次ゆかりの八幡山城址」
城郭探訪会第106回例会が、近江八幡市の 八幡山城址を探訪地として、彦根校園芸学科により開催されました。前日の台風接近に伴う大雨で、例会開催が危ぶまれ、たくさんの参加キャンセルがありましたが、それでも42名(43期22名、44期20名)の会員が参加しました。台風が過ぎ去りましたので、一転して天候は青空を伴う快晴で、風も吹いていましたので、登山途中で歩く木陰では心地良い状況でした。
なお、八幡山城下町はレイカディア大学課題学習で訪問しており、その様子はこちらから確認できます。
八幡山城址は、近江八幡市街地のすぐ北側、標高283mの鶴翼山、通称八幡山山頂にあります。安土城が落城してから3年後、豊臣秀吉の権力下、下図の豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が築いた城です。八幡山築城の狙いは、豊臣秀次の宿老に田中吉政を配し、水口岡山城に中村一氏、長浜城に山内一豊、佐和山城に堀尾吉晴、竹ヶ鼻城に一柳直末を配して、近江国を軍事的、経済的要衝として万全な体制にすることにありました。
最頂部に本丸(現瑞龍寺)を設け、その南東に二の丸(現ロープウェイ八幡城址駅、八幡山展望館)、西に西の丸(本日の昼食場所)、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸(270°の視界を有する曲輪)を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡と家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っています。本日はこれらをすべて巡ります。
参加者は市営小幡観光駐車場に集合しました。まず、本日の計画を伝えて、ガイドさんの紹介を行います。柔軟体操後、出発です。
鶴翼山登山口: 写真は日牟禮八幡宮の裏にある八幡山城址への登山口です。
登山前に近江八幡の街の名所を訪問し、ガイドさんからその説明を受けましたが、以前に記載しました八幡山城下町の説明と重複する部分もありますので、割愛します。
登山状況: 登山口から二の丸にあるロープウェイ八幡城址駅までは、長い距離をゆっくり登って行きますので、緩やかな斜面の登山となります。

ロープウェイ八幡城址駅に到着です。駅の裏から入ります。この辺りは八幡山城址の二の丸に当たります。
本丸石垣: 八幡城址駅から西の丸に向かう途中右手に本丸石垣が見えます。
西の丸: 西の丸からの景色です。写真左に小さな山が湖岸に見えていますが、これは水茎岡山城です。
西の丸では参加者の集合写真(1班)を撮影しました。
西の丸で楽しいランチタイムです。
昼食後、出丸にまで降りますが、途中、西の丸の石垣が見られます。
この後、出丸まで降りました。出丸は「八幡山の景観を良くする会」の方々が整備してくださっています。
ここからは、八幡山城の城下町であった近江八幡の道が直角に交叉し碁盤の目状になっていることがわかります。碁盤の目状の道の左上遠い先(南東方向)に見える山は長光寺山で、柴田勝家が長光寺(瓶割山)城を築いた場所です。
出丸でも、参加者の集合写真(2班)を撮影しました。
この後、下に降りて、出丸の石垣を見学しました。
出丸の上で近江八幡の街を見たときに目に入った枯木も見えます。
麓(日牟禮八幡宮辺り)から見える出丸も示します。
この後、北の丸に移動し、
そこから眺めると、北西側には長命寺と
東側には、左から延びる西の湖に接して位置する緑色の濃い小さな安土山(ここには安土城があります)と、写真のほぼ真ん中に見える観音寺城のある繖山が見えました。
北の丸への移動には、本丸の周囲を巡り、本丸の南西側隅部石垣の算木積み(この部分に矢穴技法で割られた石が多く用いられているようです)と
本丸北西側隅部石垣を見ました。上写真の南西側に比べ、北西側は自然石を用い粗雑で、算木積みとは言い難く、古い時期に積まれたもののように見えました。八幡山城主が秀次から京極高次に代わっていますので、古い時期の石垣は秀次、南西側隅部石垣は京極高次の時期のものと考えられます。
瑞龍寺山門まで来ますと、そこは本丸の枡形虎口となっていました。現在は他の曲輪と同様、石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が昭和36年(1961)に京都の都市計画の影響を受け、堀川今出川から移築されています。
このあと、ロープウェイ八幡城址駅に戻り、登ってきた登山道を逆戻りして下山しましたが、途中の分かれ道で登山口に向かわずに、八幡公園の方に行きました。
ここから、秀次館跡に向かいます。その縄張図を以下に示します。
秀次館跡の周囲が比較的整備された石垣前(縄張図位置①)で、参加者の集合写真(3班)を撮影しました。
秀次館跡からは金箔瓦を含む大量の瓦が出土し、とくに秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の金箔飾り瓦が発見されており、築城当時の館の豪華さが伺えます。金箔瓦は凸面に金を施しており、聚楽第や大坂城で羽柴秀吉が採用したものと同種のものです。また、使用される瓦は山上の城の方が古式で、居館部は新しい様式であったことが知られ、山上は安土城跡などの瓦を集めて再利用、それに対して、秀次館出土瓦は、秀吉が大坂城築城中の瓦工人を編成し、製作させたというように推定できます。
以上のことからも、八幡山城は、近江の中心として豊臣政権の権力を具体的な形で表した城郭であったと言えます。
(縄張図位置②)上記集合写真を撮影した石垣の左にある階段を登って行くと、前面は食い違い虎口で、この手前の階段状平坦地となった山麓部は秀次の重臣たちの屋敷地でした。
(縄張図位置③)写真は、秀次館に至る大手道ですが、
(縄張図位置③)階段の正面には、他の場所の石垣とは異なり、特に大きく立派な石が鏡石として石垣に用いられていました。
ここからは秀次の平時の居館ですが、出入り口は巨大な食い違い状の内枡形虎口で、極めて軍事性の高いつくりになっています。秀次館は写真右の石垣のさらに右(山側)にありますが、近江八幡市により発掘調査が実施され、多数の礎石などの建物遺構が検出されています。敷地の西側にある礎石群が主要な建物跡と思われ、建物の構造は不明ですが、西側に縁が付く書院造の建物ではないかと推定されています。
秀次は謀反の疑いで豊臣秀吉に切腹させられ、それに伴い八幡山城は破却され、建物破却後には砕いた瓦を屋敷跡の地表面に敷き詰められ、固い粘土を用いて固く叩き締めて屋敷跡が覆われていたことが明らかとなっています。屋敷跡の再利用はおろか、秀次の生活の痕跡を封印するような行為で、秀吉は秀次に対して、よほどの憎しみがあったものと思われます。
豊臣秀次公銅像: コースの最後として八幡公園にある豊臣秀次公の銅像を見て、スタート地点の市営小幡観光駐車場に戻りました。
最後に、今回の例会は、前日の荒天の状況下、空を予想する天気予報は快晴とのことでしたが、登山の足元が安全であるかについては、当日朝、彦根校園芸学科の方々が例会開催前に実地に登って確認し、開催してくださいました。
結果として、心地よい天候・気温の中、快晴で眺望もよく最高の例会でした。本例会の開催を準備いただきました城郭探訪会の皆様、特に彦根校園芸学科の方々に感謝いたします。
次回例会は、2023年7月24日(月)に、沖島の城跡の探訪が予定されています。 文責 岡島 敏広
なお、八幡山城下町はレイカディア大学課題学習で訪問しており、その様子はこちらから確認できます。
八幡山城址は、近江八幡市街地のすぐ北側、標高283mの鶴翼山、通称八幡山山頂にあります。安土城が落城してから3年後、豊臣秀吉の権力下、下図の豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が築いた城です。八幡山築城の狙いは、豊臣秀次の宿老に田中吉政を配し、水口岡山城に中村一氏、長浜城に山内一豊、佐和山城に堀尾吉晴、竹ヶ鼻城に一柳直末を配して、近江国を軍事的、経済的要衝として万全な体制にすることにありました。

最頂部に本丸(現瑞龍寺)を設け、その南東に二の丸(現ロープウェイ八幡城址駅、八幡山展望館)、西に西の丸(本日の昼食場所)、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸(270°の視界を有する曲輪)を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡と家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っています。本日はこれらをすべて巡ります。

参加者は市営小幡観光駐車場に集合しました。まず、本日の計画を伝えて、ガイドさんの紹介を行います。柔軟体操後、出発です。

鶴翼山登山口: 写真は日牟禮八幡宮の裏にある八幡山城址への登山口です。
登山前に近江八幡の街の名所を訪問し、ガイドさんからその説明を受けましたが、以前に記載しました八幡山城下町の説明と重複する部分もありますので、割愛します。

登山状況: 登山口から二の丸にあるロープウェイ八幡城址駅までは、長い距離をゆっくり登って行きますので、緩やかな斜面の登山となります。


ロープウェイ八幡城址駅に到着です。駅の裏から入ります。この辺りは八幡山城址の二の丸に当たります。

本丸石垣: 八幡城址駅から西の丸に向かう途中右手に本丸石垣が見えます。

西の丸: 西の丸からの景色です。写真左に小さな山が湖岸に見えていますが、これは水茎岡山城です。

西の丸では参加者の集合写真(1班)を撮影しました。

西の丸で楽しいランチタイムです。

昼食後、出丸にまで降りますが、途中、西の丸の石垣が見られます。

この後、出丸まで降りました。出丸は「八幡山の景観を良くする会」の方々が整備してくださっています。
ここからは、八幡山城の城下町であった近江八幡の道が直角に交叉し碁盤の目状になっていることがわかります。碁盤の目状の道の左上遠い先(南東方向)に見える山は長光寺山で、柴田勝家が長光寺(瓶割山)城を築いた場所です。

出丸でも、参加者の集合写真(2班)を撮影しました。

この後、下に降りて、出丸の石垣を見学しました。

出丸の上で近江八幡の街を見たときに目に入った枯木も見えます。

麓(日牟禮八幡宮辺り)から見える出丸も示します。

この後、北の丸に移動し、

そこから眺めると、北西側には長命寺と

東側には、左から延びる西の湖に接して位置する緑色の濃い小さな安土山(ここには安土城があります)と、写真のほぼ真ん中に見える観音寺城のある繖山が見えました。

北の丸への移動には、本丸の周囲を巡り、本丸の南西側隅部石垣の算木積み(この部分に矢穴技法で割られた石が多く用いられているようです)と

本丸北西側隅部石垣を見ました。上写真の南西側に比べ、北西側は自然石を用い粗雑で、算木積みとは言い難く、古い時期に積まれたもののように見えました。八幡山城主が秀次から京極高次に代わっていますので、古い時期の石垣は秀次、南西側隅部石垣は京極高次の時期のものと考えられます。

瑞龍寺山門まで来ますと、そこは本丸の枡形虎口となっていました。現在は他の曲輪と同様、石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が昭和36年(1961)に京都の都市計画の影響を受け、堀川今出川から移築されています。

このあと、ロープウェイ八幡城址駅に戻り、登ってきた登山道を逆戻りして下山しましたが、途中の分かれ道で登山口に向かわずに、八幡公園の方に行きました。
ここから、秀次館跡に向かいます。その縄張図を以下に示します。

秀次館跡の周囲が比較的整備された石垣前(縄張図位置①)で、参加者の集合写真(3班)を撮影しました。
秀次館跡からは金箔瓦を含む大量の瓦が出土し、とくに秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の金箔飾り瓦が発見されており、築城当時の館の豪華さが伺えます。金箔瓦は凸面に金を施しており、聚楽第や大坂城で羽柴秀吉が採用したものと同種のものです。また、使用される瓦は山上の城の方が古式で、居館部は新しい様式であったことが知られ、山上は安土城跡などの瓦を集めて再利用、それに対して、秀次館出土瓦は、秀吉が大坂城築城中の瓦工人を編成し、製作させたというように推定できます。
以上のことからも、八幡山城は、近江の中心として豊臣政権の権力を具体的な形で表した城郭であったと言えます。

(縄張図位置②)上記集合写真を撮影した石垣の左にある階段を登って行くと、前面は食い違い虎口で、この手前の階段状平坦地となった山麓部は秀次の重臣たちの屋敷地でした。

(縄張図位置③)写真は、秀次館に至る大手道ですが、

(縄張図位置③)階段の正面には、他の場所の石垣とは異なり、特に大きく立派な石が鏡石として石垣に用いられていました。
ここからは秀次の平時の居館ですが、出入り口は巨大な食い違い状の内枡形虎口で、極めて軍事性の高いつくりになっています。秀次館は写真右の石垣のさらに右(山側)にありますが、近江八幡市により発掘調査が実施され、多数の礎石などの建物遺構が検出されています。敷地の西側にある礎石群が主要な建物跡と思われ、建物の構造は不明ですが、西側に縁が付く書院造の建物ではないかと推定されています。
秀次は謀反の疑いで豊臣秀吉に切腹させられ、それに伴い八幡山城は破却され、建物破却後には砕いた瓦を屋敷跡の地表面に敷き詰められ、固い粘土を用いて固く叩き締めて屋敷跡が覆われていたことが明らかとなっています。屋敷跡の再利用はおろか、秀次の生活の痕跡を封印するような行為で、秀吉は秀次に対して、よほどの憎しみがあったものと思われます。

豊臣秀次公銅像: コースの最後として八幡公園にある豊臣秀次公の銅像を見て、スタート地点の市営小幡観光駐車場に戻りました。

最後に、今回の例会は、前日の荒天の状況下、空を予想する天気予報は快晴とのことでしたが、登山の足元が安全であるかについては、当日朝、彦根校園芸学科の方々が例会開催前に実地に登って確認し、開催してくださいました。
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2025年3月21日(金)城郭OB第88回例会日帰りバスツァー「岩村城跡と城下町」(岐阜県恵那市)
2025年2月27日(木)城郭OB第87回例会「北之庄城(岩崎山城)跡」(近江八幡市)
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」
2024年11月14日(木)城郭OB第84回例会「近江日爪城址」
2024年10月18日(金)城郭OB第83回例会「金ヶ崎城址・金ヶ崎の退き口」(福井県)
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joukaku
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