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2024年02月29日

2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

個人旅行で高松城を訪問しました。訪問した高松城は日本100名城(77番)に選定されています。

高松城は別名玉藻城とも呼ばれていますが、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるようです。初代 生駒親正が天正15年(1587)に豊臣秀吉によって讃岐一国を与えられ、香東郡野原(篦原)庄と呼ばれていた現在の地を高松と改め、天正16年(1588)から築城が開始した水城です。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

瀬戸内海の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は日本の三大水城(高松城、今治城、中津城)のひとつといわれ、縄張りは当時築城の名手であった黒田孝高とも細川忠興ともいわれています。
第3代生駒正俊の時には、丸亀から商人を呼び寄せ、丸亀町を造らせるなど、高松城下町も次第に整備されました。
生駒氏の治世は4代続きましたが、生駒騒動といわれる御家騒動で讃岐一国を召し上げられ、そのあとは、常陸国下館藩の松平氏により明治まで治められました。

高松城縄張図: 本日は縄張図の中の赤枠部分しか現状残されていませんが、玉藻公園となっているこの敷地内にある城郭の建物や遺構を巡ります。縄張図はクリックで拡大します。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

旧太鼓櫓跡(櫓台)に建つ艮櫓(駐車場から撮影): 建物の艮櫓(うしとらやぐら)はもともと、東の丸の北東(この方向を丑寅という)の隅(現在の県民ホール敷地内)にあった櫓で、その名称は方角から名づけられました。完成は延宝5年(1677)といわれ、後に訪れる月見櫓と同時期につくられました。三重三階・入母屋造・本瓦葺で形は月見櫓と似ていますが、初重に大きな千鳥破風があるのが特徴です。
昭和40年に当時の所有者であった旧国鉄より高松市が譲り受けて、2年の歳月をかけて、東の丸より現在の旧太鼓櫓跡に移築されました。下方に見える堀は中堀です。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

大正時代に撮影された移築前の艮櫓(手前)と月見櫓(奥): 艮櫓は海岸縁に建てられていました。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

旭門: 玉藻公園駐車場からすぐにある高松城の大手門で、高麗門の形式の門です。この後桝形を通りすぎて、桜の馬場に入ります。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

復元桜御門(桜の馬場側): 桜の馬場から土橋を渡って三の丸に入るための門です。高松空襲で焼失しましたが、令和4年(2022)7月復元され蘇りました。復元には古写真と礎石に残る柱跡等が有力な手掛かりとなりました。
門に吊り下げられた青色の幔幕(まんまく)は行事により付替えられます。この門の向こう側は三の丸です。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

焼失前の桜御門
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

復元桜御門(三の丸側)
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

高松空襲(1945)で焼けた桜御門石垣
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

披雲閣(ひうんかく)玄関: 松平藩時代にも現在の場所に披雲閣と呼ばれる広大な建物(現在の約2倍)がありました。藩の政庁及び藩主の住居として使われていましたが、明治時代に老朽化により取り壊され、その後3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて、大正6年(1917)現在の披雲閣が完成しました。第2次世界大戦後占領軍にしばらく接収されていましたが、高松市が譲り受けてからは、貸会場として利用されています。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

披雲閣の縁側
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

月見櫓・水手御門・渡櫓: 月見櫓は北の丸の隅櫓として延宝4年(1676)頃に完成したといわれ、出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「着見(つきみ)櫓」ともいわれています。総塗籠(そうぬりごめ)造の三重三階・入母屋造・本瓦葺で、初重は千鳥破風、二重は唐破風と屋根の形を変化させています。
月見櫓に連なる薬医門形式の水手御門は、いわば海の大手門です。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

報時鐘鐘楼: こちらに安置されている鐘は、城下の人々に時を知らせるため、松平家初代城主(生駒氏から5代目)松平頼重が承応2年(1653)に大坂で鋳造させました。鐘は当初外堀の西南稲田外江の邸に近い外堀土手に設けられた鐘楼に懸けられていましたが、所在を転々とした後に、昭和55年(1980)に市政施行90周年を記念して、ここに安置されることになりました(鐘楼はこのとき建造されたものです)。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

鉄門(くろがねもん): 三の丸から二の丸へ入る門として、かつて鉄門がありました。門の上部に長屋状の建物を両側の石垣に渡すように建てられた櫓門という形式の門です。その名の通り鉄板張りの門で、門の北側石垣の東端(写真右石垣前説明板付近)から1mの位置に鉄板の錆が縦方向に直線として残っており、この位置に門扉があったことが分かります。この先は二の丸です。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

鞘(さや)橋入口: 本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当初は欄干橋でしたが、江戸時代中期末頃には屋根付きの橋になっていたようです。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

鞘橋側面と上方からの姿: 周囲の堀は海水の入った内堀となります。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

内堀で泳ぐ鯛(鞘橋から撮影): 内堀には真鯛が泳いでおり、海水が取り入れられていることがわかります。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

天守台
 天守跡地には、最後の藩主(松平家11代)であった松平頼聰(よりよし)により、明治34から35年(1901から1902)に初代松平頼重を祀る玉藻廟が建築されました。昭和19年(1944)には戦火を避けるため、屋島神社に御神体(理兵衛焼の頼重像)を遷座し、その後、昭和31年(1956)に公益財団法人松平公益会敷地内に新玉藻廟が建築され、再遷座しています。天守台上の旧玉藻廟はその傷みが激しいことから、石垣修理工事に伴い平成18年(2006)9月から11月にかけて記録保存を行い解体されました
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

天守古写真(1882): 生駒期の天守は外観や内部の構造については不明ですが、絵図や古文書によると3重だったとされています。この天守を改築したのが松平頼重です。改築された天守は3重5階(3重4階+地下1階)建で、寛文10年(1670)に完成しています。
天守の最上階が下の階より張り出した南蛮造り(唐造り)で、さらに地上1階部分が石垣より張り出した構造となっていました。その大きさは、『小神野筆帖』によると「高17間半、内石垣4間」とあるため、地上部分の高さは13間半であることが分かります。1間を6尺5寸(約197cm)と仮定すると、26.6mとなります。
四国最大級の規模を誇った天守も、明治17年(1884)に老朽化を理由に取り壊されました。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

ケンブリッジ大学の上記写真が発見される前は、下の写真が唯一の天守の写真でした。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

天守台地下入口: 天守台西側には、玉藻廟へ参拝するための石段が設けられていました。その石段を撤去したところ、天守1階部分の入口と入口へ上がるための階段が検出されました。階段は上部が壊されており、正確な規模は不明ですが、入口は幅約2.8メートル,高さ約2.7メートル,奥行き約4.3メートルです。
入口の石垣には刻印石や墨書も発見されました。このうち墨書は玉藻廟建築時のものと考えられますが、刻印石は江戸時代のものと考えられ、長方形や分銅形、上、ち、り等が確認されました。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

天守地下1階: 文献等から天守には地下1階があることは判明していました。地下1階は石垣で構築された部屋で、発掘調査を進めて行くと予想通り石垣が検出されました。しかし、石垣で構築された部屋の内部にさらに石垣が見つかり、まるで石垣でできた迷路のようでした。
実は、内部の石垣は明治34~35年(1901~1902)に建築された玉藻廟の基礎で、地下1階を埋め立てた上に建築を開始したのではなく、地下1階の床面から石を積み上げて基礎を造りながら埋め立てていたことが分かりました。埋め立てた土の中からは、家紋瓦をはじめ多くの遺物が出土しました。天守解体時には埋め戻されていないことから、天守に使用された遺物の可能性は低いと考えられます。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

最後に、高松城では天守復元に向けて、高松市が2016年懸賞金制度を設けて天守の内部構造等の情報収集しています(復元案)。天守に係る新情報ができ、すばらしい高松城天守が蘇ることを祈っております。
2024年2月27日(火)香川県讃岐高松城訪問

                                      文責  岡島敏広

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