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2023年06月14日

2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

レイカディア大学地域文化学科の選択講座でボランティアガイド養成講座の開始です。D,E,Fの3グループ12名で、午前中は「大津城址と大津百町を訪ねる」をFグループの案内で巡ります。S木さんのコースの説明で散策開始です。

なお、大津百町については、課題学習グループ沙沙貴組も調査しております。
その報告はこちらに記載されていますので、ご覧ください。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

以下は、今回の「大津城址と大津百町を訪ねる」の案内文です。
結論は、大津は城下町として発展しますが、城は大津籠城戦がもとで廃城となり、町の政治色がなくなった後、商業、通運、門前町として、さらに発展します。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

散策コースを以下の地図に青線で示しまとめました。地図上及び本文の丸数字は訪問地点とその説明で、地図の方はクリックすると拡大します。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

①大津本陣前で、本陣の説明をしてくださったT野さん: 大津には将軍や大名、公家などが宿泊・休憩をとる本陣2つ、脇本陣1つがありましたが、場所が判明しているのは、この石碑と説明板のある大坂屋嘉右衛門(大塚本陣)の本陣だけです。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

木曾海道六拾九次之内 大津 歌川広重画
京都から大津に入ってくる東海道のこの辺りは「八丁筋」(八町通)と呼ばれ、本陣や庶民の宿である旅籠屋が並んでいました。浮世絵は、八町通を描いたものです。両側には宿屋が立ち並び、旅人や大津の港から京への荷物を乗せた牛車が行きかい、奥には琵琶湖が見えています。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

②高札場「札の辻」です。T野さんの解説: 大津から各地までのを距離を測る基点が設置されています。この地点は東海道と北國海道が交差する地点で、ここから浜大津へと降りて行く道は細い道だったそうです。京阪電車も大正14年(1925)に道が拡張されるまではここ札の辻に駅があり、終点であったそうです。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

遊廓跡: 細い道を抜け、柴屋町で遊廓の写真を見せ説明をするS木さん。S木さんの後ろは更地となった遊郭跡。現在、遊郭の建物は老朽化により解体され部材は保存されているとのことです。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

④S木さんによる木村家住宅の説明: 軒切りで道路を拡張して町家の姿が変化する中、現在も江戸期の姿を保つ町家で、国の有形文化財となっています。材木商を営んでいたそうです。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

⑤大津城石垣として唯一現存する大津城外堀の石垣の説明をT木さんより受けました。大津祭曳山展示館東横にあります。矢穴が見られます。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

⑥みずほ銀行の横に設置された「坂本町」石碑前で、朝日生命の発掘調査の状況を説明するT木さん。朝日生命ビル建設工事のときに、外堀の石垣が出土しています。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

⑦城の周辺部から、いよいよ城下町の中心に迫ります。
遠く(左下の手すりの上)に大津城跡石碑を小さく見ながら、T田さんに大津城の位置及び天守(想像図)の説明をしていただきました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

⑧最後に、スカイプラザ浜大津6F(実際の天守の高さ)まで登り、天守からの眺望を体験した後、6F にある大津城天守模型前で、T田さんの関ヶ原の戦い前の大津籠城戦の説明と城主京極高次が徳川家康の勝利に貢献したお話を聞き、午前の「大津城址と大津百町を訪ねる」の部は終了しました。
この後、楽しい昼食です。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

昼食後、浜大津駅から京阪電車に乗って錦駅まで移動し、午後の部のEグループによる「膳所城下町」散策開始です。
なお、膳所城下町については、課題学習グループ沙沙貴組も調査しております。その報告はこちらに記載されていますので、ご覧ください。

以下は、午後の「膳所城下町」散策の案内文です。
現代の地図(上)に加えて、江戸時代の状況を描いた古地図(下)に従って、東海道を歩いてゆきます。下の古地図はクリックすると拡大します(滋賀県立図書館にリンクしています)。かなり詳細な部分まで拡大して確認できますので、興味ある部分を拡大してご確認ください。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

「リーダー・挨拶」担当のT田さんによるコースの概要と交通安全の訓示を受け、「主進行」担当のI永さんの案内で出発です。この後の訪問地の解説は、ほとんどI永さんに行っていただきました。
午後の散策の部の結論としては、膳所城下町は大津から政治・軍事機能だけを移植した町で、物理的距離も近く機能分担していたことです。散策によりその雰囲気を体験します。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

「補助進行」担当の筆者のO島が、膳所城下町の古地図を示し説明します。本日は午前の散策で全員既に疲れていました。予定していた城下町の南の出口に当たる瀬田口総門まで行かないことが明確になったことから、瀬田口総門の場所を古地図で示し、総門の番所が最近まで存在していたこと、総門の門が現在も大阪泉大津市に移築されて存在することを説明しました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

六体地蔵堂 膳所城御椀倉: 午前中の疲労及び午後の歩行時間を考慮し、計画変更したついでに、計画になかった六体地蔵堂を、I永さんに案内され訪れました。この建物は膳所城の御椀倉を移築した建物です。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

六体地蔵堂内部には、文字通り六体の地蔵が安置されておりましたが、そのお顔はお化粧したように異様に美しく白いものでした。ここは膳所城下町から外れた墓地に向かう墓地入口に当たる部分です。ここから相模川に沿って下流(琵琶湖)方向に防塁があった所まで歩きます。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

防塁(古地図の拡大図): 大津口から膳所城下町に入ると、古地図右下の相模川と記載した所に架けられている橋(右下に一部描かれています)にたどり着きます。この橋を渡り、島状の防塁に入って、松で縁取られた土橋を渡り薄い赤で示された東海道に沿って町家の間を進んで行きます。響忍寺と防塁の間には、竹藪が描かれています。西から豊臣(秀頼)軍が攻めてきた場合は、防塁(島)上の敵を響忍寺(当時は膳所藩家老屋敷)の竹藪に隠れて、弓、鉄砲で撃退できるような構造になっています。なお、現在は相模川以外は埋め立てられて、水の部分は残っていませんので、地形は大きく変わっています。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

現在の防塁の姿: ガードレールが設置された相模川の手前で、"本当の旧東海道"は写真正面のベージュのお家の右にある鉄板の橋(古絵図の木橋が鉄板に変わっている)を渡って、路地を左に曲がると現在の旧東海道に繋がります。防塁に入り「左に曲がって」次に右方向の土橋へ行くという方向性は変わっていません。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

響忍寺: 膳所藩家老屋敷の長屋門がそのまま寺の門となっています。この寺(当時は家老屋敷)の裏が竹藪となっていて、防塁を攻撃できるようになっていました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

北大手門: 和田神社の辺りから東海道を外れて古地図の北大手門の方に向かいました。北大手門の辺りは、堀が埋め立てられ、門自体も篠津神社に移築されており、現地には形跡は何も無く、アスファルト敷の月極駐車場となっていました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

篠津神社に移築された北大手門
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

船繋ぎ石: 月極駐車場の前で、上の古地図を使って北大手門の説明をしておりますと、本ブログの古地図の手前方向の中堀の角に当たるお家の奥様が声をかけてくださいました。私たちが昔の膳所を地図で確かめていることを説明しますと、親切にお庭に残されている船繋ぎ石見せて下さる事になりました。我々12名全員がお庭にお邪魔させてもらい、説明もして下さいました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

船繋ぎ石: 真ん中の木の右側に船繋ぎ石がありますが、左側の石にもロープ(又は鎖?)が結ばれ、それが削ったらしく、左の石の根元がえぐれていました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

船繋ぎ石: 左側の石のえぐれた部分の拡大図です。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

船繋ぎ石の下には、中堀の石垣らしきものも残っておりました。見せていただいたお礼を申し上げて、次は北大手門や中堀に当たる所を通り過ぎて丸の内の中へと進みました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

北大手門町: 城下町の東海道沿いの町家に比べ、この辺りは丸の内で武家屋敷であったことから、周辺に建てられている邸宅の区画が大きいことを確かめながら散策しました。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

中大手門近くに到達し、その近くで、「点呼・記録」担当のO村さんのリクエストにより写真を撮影しました。古地図を見ると、実際の中大手門の建てられていた位置は、現在石碑の設置されている位置とは少し異なることも確認しました。なお、残念ながら、中大手門そのものは失われています。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」

膳所神社: 予定していた行程の半分でしたが、終了時間になりましたので、集合写真を撮影し、N嶌先生のお言葉を頂いて、本日の授業を終了しました。
ちなみに、灯籠の後ろに見えている門は、移築された膳所城伝二の丸北東の門です。
2023年6月13日(火)ボランティアガイド養成講座「大津百町と膳所城下町」


解散のあと、沙沙貴組のメンバーが多かったことから、いつものように反省会を開き、喉を潤しました。お疲れさまでした。
                                 文責 岡島

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