2022年08月28日
2022年8月26日(金)第96回例会「長比城址と柏原宿」
例会当日、滋賀県南部は雨が降っておりましたが、今回の探訪地米原市は好天に恵まれる中、第96回例会「長比城址と柏原宿」が開催され、長比城(たけくらべじょう)と中山道の宿場町柏原宿を探訪しました。
担当は、レイカディア大学米原校43期園芸学科で学科長KNさんが中心となって、城郭探訪会でこれまで96回実施された例会では初めての探訪先を準備していただきました。例会には42期生2名、43期生28名(計30名)に参加頂きました。非常に目立つ米原校の幟を立てていただき、参加者全員スムーズに参加受付を済ませました。

KYさんの開会のあいさつの後、ガイドさんの説明を聞きます。

長比城(野瀬山)への登山の途中、長比城の戦略的重要性についての説明を聞きます。

長比城は、近江国(滋賀)と美濃国(岐阜)の境にあり、離反した浅井長政は織田信長による東山道(現在の中山道)からの攻撃を想定して、朝倉義景と共同して守りのために築かれました。1570年の長比攻めは姉川の戦いの前哨戦で、長政は長比城に武将堀秀村と樋口直房を城将として入れましたが、竹中重治(半兵衛)(下図)の調略に投降してしまい、信長は長比城に無血入城を果たします。
なお、信長の北国脇往還からの攻撃防御のために、長比城の北に同様に上平寺城(苅安城)が築かれました。
登山道の途中にはいくつもの動物避けの鐘が設置されており、カンカンと音を鳴らしながら登ってゆきます。

ようやく、西の曲輪に到着し、そろそろ楽しみにしていた昼食です。

昼食風景(東の曲輪)

左: 西の曲輪、右: 東の曲輪

昼食後は浅井方の守りの城の配置の説明を受け、東の曲輪で集合写真(下)です。

城の配置の説明: 長比城から見える浅井方の守りの城の配置は、木の枝が掛かって見えている左(南)から伸びる山(横山丘陵)に横山城があり、その奥の右(北)に見える三角に尖った山に小谷城があります。長比城の調略の後、浅井・朝倉連合軍は姉川の戦い(1570年)でも破れ、すぐさま横山城も木下秀吉に落とされて、長政の本拠地小谷城(1573年落城)は目と鼻の先まで信長に迫られたというのはよくわかります。

次は、東の曲輪で、食違虎口の説明を受けました。城の岐阜方面(東側)は分厚い土塁で、かつ、急な斜面になっていることから、斜面を登って攻めるのは不可能であるとの印象を持ちました。

東の曲輪の見学後、下山します。登山口まで戻り、この地域の説明を受けました。
長比城への登山口はちょうど分水嶺となっており、この登山道の写真左(東側)の溝を流れる水は伊勢湾へ、写真右(西側)の溝を流れる水は琵琶湖を経由して大阪湾に流れ込むとのことでした。ちなみに、滋賀県を流れるたくさん(509)の川のうち、505本が琵琶湖を経由して大阪湾に流れ込み,流れ込まない河川は4本しかなく、1本は伊勢湾、もう3本は若狭湾に流れ込むそうです。
左側(東側): 伊勢湾へ

右側(西側): 大阪湾へ

長比城の後は柏原宿に入りますが、まず、東見附(宿場町の東の入口)に到着します。

皇女和宮が宿泊した本陣跡や

歌川(安藤)広重の浮世絵にある伊吹艾(もぐさ)本家亀屋佐京商店もそのまま存在し、浮世絵にある福助人形も残されています。


最後は、柏原宿歴史館前で解散し、楽しい1日を終えました。
なお、柏原宿歴史館の館長さんのお話では、長比城址は申請を済ませたことから、近い将来、国史跡に指定されるそうです。
計画してくださった米原校43期園芸学科の皆様を始め、ご参加頂いた皆様、ご支援・ご協力いただいた方々に感謝申し上げます。
第97回例会は2022年9月30日「賤ケ岳古戦場」 が予定されています。 文責 岡島 敏広
担当は、レイカディア大学米原校43期園芸学科で学科長KNさんが中心となって、城郭探訪会でこれまで96回実施された例会では初めての探訪先を準備していただきました。例会には42期生2名、43期生28名(計30名)に参加頂きました。非常に目立つ米原校の幟を立てていただき、参加者全員スムーズに参加受付を済ませました。

KYさんの開会のあいさつの後、ガイドさんの説明を聞きます。

長比城(野瀬山)への登山の途中、長比城の戦略的重要性についての説明を聞きます。

長比城は、近江国(滋賀)と美濃国(岐阜)の境にあり、離反した浅井長政は織田信長による東山道(現在の中山道)からの攻撃を想定して、朝倉義景と共同して守りのために築かれました。1570年の長比攻めは姉川の戦いの前哨戦で、長政は長比城に武将堀秀村と樋口直房を城将として入れましたが、竹中重治(半兵衛)(下図)の調略に投降してしまい、信長は長比城に無血入城を果たします。

なお、信長の北国脇往還からの攻撃防御のために、長比城の北に同様に上平寺城(苅安城)が築かれました。

登山道の途中にはいくつもの動物避けの鐘が設置されており、カンカンと音を鳴らしながら登ってゆきます。

ようやく、西の曲輪に到着し、そろそろ楽しみにしていた昼食です。

昼食風景(東の曲輪)

左: 西の曲輪、右: 東の曲輪

昼食後は浅井方の守りの城の配置の説明を受け、東の曲輪で集合写真(下)です。

城の配置の説明: 長比城から見える浅井方の守りの城の配置は、木の枝が掛かって見えている左(南)から伸びる山(横山丘陵)に横山城があり、その奥の右(北)に見える三角に尖った山に小谷城があります。長比城の調略の後、浅井・朝倉連合軍は姉川の戦い(1570年)でも破れ、すぐさま横山城も木下秀吉に落とされて、長政の本拠地小谷城(1573年落城)は目と鼻の先まで信長に迫られたというのはよくわかります。

次は、東の曲輪で、食違虎口の説明を受けました。城の岐阜方面(東側)は分厚い土塁で、かつ、急な斜面になっていることから、斜面を登って攻めるのは不可能であるとの印象を持ちました。

東の曲輪の見学後、下山します。登山口まで戻り、この地域の説明を受けました。
長比城への登山口はちょうど分水嶺となっており、この登山道の写真左(東側)の溝を流れる水は伊勢湾へ、写真右(西側)の溝を流れる水は琵琶湖を経由して大阪湾に流れ込むとのことでした。ちなみに、滋賀県を流れるたくさん(509)の川のうち、505本が琵琶湖を経由して大阪湾に流れ込み,流れ込まない河川は4本しかなく、1本は伊勢湾、もう3本は若狭湾に流れ込むそうです。

左側(東側): 伊勢湾へ

右側(西側): 大阪湾へ

長比城の後は柏原宿に入りますが、まず、東見附(宿場町の東の入口)に到着します。

皇女和宮が宿泊した本陣跡や

歌川(安藤)広重の浮世絵にある伊吹艾(もぐさ)本家亀屋佐京商店もそのまま存在し、浮世絵にある福助人形も残されています。


最後は、柏原宿歴史館前で解散し、楽しい1日を終えました。
なお、柏原宿歴史館の館長さんのお話では、長比城址は申請を済ませたことから、近い将来、国史跡に指定されるそうです。
計画してくださった米原校43期園芸学科の皆様を始め、ご参加頂いた皆様、ご支援・ご協力いただいた方々に感謝申し上げます。
第97回例会は2022年9月30日「賤ケ岳古戦場」 が予定されています。 文責 岡島 敏広
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)
2025年3月21日(金)城郭OB第88回例会日帰りバスツァー「岩村城跡と城下町」(岐阜県恵那市)
2025年2月27日(木)城郭OB第87回例会「北之庄城(岩崎山城)跡」(近江八幡市)
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」
2024年11月14日(木)城郭OB第84回例会「近江日爪城址」
2024年10月18日(金)城郭OB第83回例会「金ヶ崎城址・金ヶ崎の退き口」(福井県)
2025年3月21日(金)城郭OB第88回例会日帰りバスツァー「岩村城跡と城下町」(岐阜県恵那市)
2025年2月27日(木)城郭OB第87回例会「北之庄城(岩崎山城)跡」(近江八幡市)
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」
2024年11月14日(木)城郭OB第84回例会「近江日爪城址」
2024年10月18日(金)城郭OB第83回例会「金ヶ崎城址・金ヶ崎の退き口」(福井県)
Posted by
joukaku
at
18:22
│Comments(0)
│例会