2022年04月28日
2022年4月28日(木)第92回例会「星ヶ崎城址と鏡宿」
43期生初めての城郭探訪例会(92回)として、42期生が2月に計画しつつも降雪のために実施できなかった星ケ崎城の探訪をそのまま受け継ぎ、リベンジとして計画しました。前日が雨で中止が懸念されましたが、当日は嘘のように晴天に恵まれ、無事実施することができました。担当は草津校園芸AB学科第43期で、参加は42期生8名・43期生40名計48名でした。
コースの説明のあと、柔軟体操です。恥かしながら、ラジオ体操第1を道の駅 竜王かがみの里で実施しました。
4班に分かれ、うち2班は鏡宿→星ケ崎城址へ、残りの2班は星ケ崎城址→鏡宿の順に午前午後交互に探訪しました。
星ケ崎城は近江源氏佐々木氏一族の鏡(佐々木)久綱が築城したとされますが、鏡久綱は承久の乱で宮方として後鳥羽上皇に味方して敗れ自刃し、鏡氏は断絶します。雨上がりの山道の水もはけ、伝教大師が建立した西光寺跡で重要文化財の石灯籠と宝篋印塔を見て、


新緑の清々しい中を適度な疲労感が出た頃に星ケ崎城址に到着しました。


縄張(案内板の拡大)

星ヶ峰からの琵琶湖や湖東は、見晴らしもよく絶景でした。 この城からは、当時の東山道(国道8号線)の監視が容易だったものと思われます。

鏡宿探訪では、垂仁天皇3年(BC.31)に朝鮮半島新羅国より来朝した天日槍 (アメノヒボコ: 新羅国王子)を祀る鏡神社をはじめ、源義経(牛若丸)の元服池、宿泊の館の白木屋跡を訪問し、竜王町ウェルカムガイドさんの案内で質問も出る中見識を深めることができました。実物を見ることはできませんでしたが、鏡神社宮司宅には義経の元服時に用いたたらいの底が残されているとの話をガイドさんからお聞きしました。




昼は、設備の整った道の駅でゆっくりいただくことができました。
全員怪我なく下山し、多数の乗用車利用者のために、従業員用の駐車場の利用を快諾いただいた道の駅の本田駅長さんを始め、丁寧に説明いただいたガイドさん・スタッフのみなさんに感謝いたします。
なお、本文はT.O.さん執筆のレイカディア大学城郭探訪会誌第93号を参考にしています。
次回例会は2022年5月21日(宇佐山城址)に予定されています。 文責 岡島
コースの説明のあと、柔軟体操です。恥かしながら、ラジオ体操第1を道の駅 竜王かがみの里で実施しました。

4班に分かれ、うち2班は鏡宿→星ケ崎城址へ、残りの2班は星ケ崎城址→鏡宿の順に午前午後交互に探訪しました。
星ケ崎城は近江源氏佐々木氏一族の鏡(佐々木)久綱が築城したとされますが、鏡久綱は承久の乱で宮方として後鳥羽上皇に味方して敗れ自刃し、鏡氏は断絶します。雨上がりの山道の水もはけ、伝教大師が建立した西光寺跡で重要文化財の石灯籠と宝篋印塔を見て、



新緑の清々しい中を適度な疲労感が出た頃に星ケ崎城址に到着しました。


縄張(案内板の拡大)

星ヶ峰からの琵琶湖や湖東は、見晴らしもよく絶景でした。 この城からは、当時の東山道(国道8号線)の監視が容易だったものと思われます。

鏡宿探訪では、垂仁天皇3年(BC.31)に朝鮮半島新羅国より来朝した天日槍 (アメノヒボコ: 新羅国王子)を祀る鏡神社をはじめ、源義経(牛若丸)の元服池、宿泊の館の白木屋跡を訪問し、竜王町ウェルカムガイドさんの案内で質問も出る中見識を深めることができました。実物を見ることはできませんでしたが、鏡神社宮司宅には義経の元服時に用いたたらいの底が残されているとの話をガイドさんからお聞きしました。




昼は、設備の整った道の駅でゆっくりいただくことができました。
全員怪我なく下山し、多数の乗用車利用者のために、従業員用の駐車場の利用を快諾いただいた道の駅の本田駅長さんを始め、丁寧に説明いただいたガイドさん・スタッフのみなさんに感謝いたします。
なお、本文はT.O.さん執筆のレイカディア大学城郭探訪会誌第93号を参考にしています。
次回例会は2022年5月21日(宇佐山城址)に予定されています。 文責 岡島
2022年04月24日
2022年4月23日(土)第93回例会「宇佐山城址」探訪下見
レイカディア大学城郭探訪会の地域文化・健康づくり学科初めての例会担当となり、緊張気味で下見のスタートです。
JR大津京駅前に10:00集合でしたが、10分前には参加者5名が全員集まりましたので、事前に作成していたコース案を確認。

コース案に従い、まず、近江大津宮錦織遺跡を訪問しました。史跡の外観について個人的印象を率直に言えば単なる児童公園のようでしたので、その価値の歴史的なものを含めての「説明」が必要と思いました。ガイドするという立場では、事前勉強が必要ということです。
次にコース案にはありませんでしたが、皇子山古墳を訪問、大きな立派な古墳ですが、誰のもののかはわからないそうです。ここは、解説が難しいことと、全体時間配分の関係から、本番ではコース案に従うこととし、割愛することとなりました。
次は、宇佐山城址への登山ですが、登山道の入り口にあるのは宇佐八幡宮(むし八幡宮)です。源頼朝を5代遡る源頼義が社を建て、豊前国(大分県)宇佐神宮の八幡神を勧請したことから、宇佐八幡宮、背後の山を宇佐山とよびます。
境内に入ると山本さんに「インスタ映えするよ」と言われて社殿横にゆくと、八幡神の神使である鳩の置物が所狭しと並べられていました。
ここまで上り坂で、息がはずんでいたので神社を見学しながら休憩し、宇佐山城まで一気に登りました。森可成の築城によるものです。
三の丸からの眺望はすばらしく、琵琶湖とその周りの町が眼下に広がります。
ここでは参加者の集合記念撮影が必要と決め、本丸に移りました。本丸には、現在NHK電波塔が建てられていますが、建物の下にも樋など遺構が残されていることをを確認しました。
本丸の周囲(二の丸も)には石垣が残されていました。明智光秀が作ったとのことです。
下山後は、南滋賀町廃寺跡(白鳳期の瓦が出土したことから、かつては崇福寺とも論争された逸名の白鳳寺院)を経由し、百穴古墳群(横穴式石室をもつ渡来人の円墳で64基確認されています)に到着しました。めずらしいので、葬られていた方には失礼かもしれませんが、古墳の中をのぞき込んだりしました。
平安時代から利用されていた京都北白川に通じる旧山中越を往来する人々の安全を祈願して、鎌倉時代に彫られた志賀の大仏(阿弥陀如来坐像)を見て、

最終目的地の南尾根にある崇福寺金堂・講堂跡に到着しました。崇福寺は天智天皇の頃創建され、旧山中越が近くを通っていたことから繁栄しましたが、比叡山の内紛に巻き込まれて鎌倉末期には荒廃していたようです。
ここより北側には、弥勒堂跡、小金堂跡、塔跡も存在し、塔跡からは国宝の崇福寺塔心礎納置品(仏舎利)が出土しています。
ここまでで、下見のメンバーも疲れましたので、会員の疲れも考慮し、北側の他の崇福寺遺跡の訪問は実施しないこととしました。
金堂・講堂跡にはたくさんのモミジが植えられ、時期的にも芽吹いて間もない新緑で、柔らかな光に包まれた「崇福寺旧址」碑前で記念写真の撮影を行いました。1箇月後の本番でも、それほど様子は変わっていないでしょうから、例会の締めくくりの記念撮影として美しい写真が撮影できるものと期待しています、
ゴールの京阪電車滋賀里駅に行くまでの途中に、見落としてしまいそうな形で、さりげなく「日本の茶栽培の発祥地」の看板がありました。ここは、伝教大師最澄とともに唐より帰国した僧永忠が持ち帰った茶の種を植えた場所と伝わり、日本最古の茶園と言われています。
このあと、滋賀里駅到着した後、お別れし、それぞれ電車又は自家用車にて帰宅しました。下見にご協力いただいた皆様、お疲れさまでした。
また、ありがとうございました。
例会本番は2022年5月21日に予定されています。 文責 岡島
JR大津京駅前に10:00集合でしたが、10分前には参加者5名が全員集まりましたので、事前に作成していたコース案を確認。

コース案に従い、まず、近江大津宮錦織遺跡を訪問しました。史跡の外観について個人的印象を率直に言えば単なる児童公園のようでしたので、その価値の歴史的なものを含めての「説明」が必要と思いました。ガイドするという立場では、事前勉強が必要ということです。

次にコース案にはありませんでしたが、皇子山古墳を訪問、大きな立派な古墳ですが、誰のもののかはわからないそうです。ここは、解説が難しいことと、全体時間配分の関係から、本番ではコース案に従うこととし、割愛することとなりました。

次は、宇佐山城址への登山ですが、登山道の入り口にあるのは宇佐八幡宮(むし八幡宮)です。源頼朝を5代遡る源頼義が社を建て、豊前国(大分県)宇佐神宮の八幡神を勧請したことから、宇佐八幡宮、背後の山を宇佐山とよびます。

境内に入ると山本さんに「インスタ映えするよ」と言われて社殿横にゆくと、八幡神の神使である鳩の置物が所狭しと並べられていました。


三の丸からの眺望はすばらしく、琵琶湖とその周りの町が眼下に広がります。
ここでは参加者の集合記念撮影が必要と決め、本丸に移りました。本丸には、現在NHK電波塔が建てられていますが、建物の下にも樋など遺構が残されていることをを確認しました。


下山後は、南滋賀町廃寺跡(白鳳期の瓦が出土したことから、かつては崇福寺とも論争された逸名の白鳳寺院)を経由し、百穴古墳群(横穴式石室をもつ渡来人の円墳で64基確認されています)に到着しました。めずらしいので、葬られていた方には失礼かもしれませんが、古墳の中をのぞき込んだりしました。


最終目的地の南尾根にある崇福寺金堂・講堂跡に到着しました。崇福寺は天智天皇の頃創建され、旧山中越が近くを通っていたことから繁栄しましたが、比叡山の内紛に巻き込まれて鎌倉末期には荒廃していたようです。
ここより北側には、弥勒堂跡、小金堂跡、塔跡も存在し、塔跡からは国宝の崇福寺塔心礎納置品(仏舎利)が出土しています。
ここまでで、下見のメンバーも疲れましたので、会員の疲れも考慮し、北側の他の崇福寺遺跡の訪問は実施しないこととしました。


ゴールの京阪電車滋賀里駅に行くまでの途中に、見落としてしまいそうな形で、さりげなく「日本の茶栽培の発祥地」の看板がありました。ここは、伝教大師最澄とともに唐より帰国した僧永忠が持ち帰った茶の種を植えた場所と伝わり、日本最古の茶園と言われています。

このあと、滋賀里駅到着した後、お別れし、それぞれ電車又は自家用車にて帰宅しました。下見にご協力いただいた皆様、お疲れさまでした。
また、ありがとうございました。
例会本番は2022年5月21日に予定されています。 文責 岡島