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2023年03月29日

2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

本日は、レイカディア大学の課題学習で5回目の校外活動となります。観音寺城下町石寺と次回調査の安土城下町のうちの沙沙貴神社の情報収集のため、城下町を学ぶ課題学習グループ"沙沙貴組"4名は、下の「佐々木古城跡絵図」の石寺の地図に従って石寺と沙沙貴神社を巡りました。
この城下町石寺の下見と山上の観音寺城については、それぞれリンク先(下見観音寺城観音寺城大土塁トレイル)をご覧ください。

まず、安土駅から沙沙貴神社に立ち寄ります。
こちらは次回訪問予定の安土城下町に当たりますが、沙沙貴神社だけが城下町より外れており、歩いて訪問するには遠く、今回訪問の石寺へ行く経路の途中にあることから、まず、立ち寄りました。
沙沙貴神社は近江に織田信長が来る前には、近江の至る所で権力を持っていた佐々木氏の氏神(宇多天皇)が祀られる佐々木氏の総本山のような神社です。当日は桜が満開で、沙沙貴神社だけでなく、この後の石寺でも桜を鑑賞しながらの調査となりました。駐車場で満開の桜の木の下に車を駐車し降りると、まず、目に留まったのは、まだ芽吹いていませんが、有名ななんじゃもんじゃの木です。この沙沙貴神社は、下に示しました「佐々木古城跡絵図」にも「佐々木社」として描かれています。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

5月4日(木)満開になっているなんじゃもんじゃの木を撮影しました。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

楼門(県指定重要文化財): 楼門は二階建てで、屋根が一重、一階柱上に組物と高欄をつけた門を楼門と言います。、江戸時代中期の延享4(1747)年に建立されたものです。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

本殿(県指定重要文化財): 弘化5年(1848)で、天保14年の火災後、拝殿とともに新造されました。構造形式は五間社流造 向拝三間 銅板葺で。棟礼に大工水原源四郎俊勇とあります。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

下の地図は「佐々木古城跡絵図」の関連部分に訪問先と説明を付け加えたものです。国道8号線と中山道の走り方が、老蘇の森を境にして大きく変わっていることに気づきます。クリックにより拡大します。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

老蘇の森: 目的地に到着です。石寺の外れになりますが、老蘇の森の見える奥石神社裏参道の駐車場で車を降ります。老蘇の森は、今から約2300年前 孝霊天皇の御世に石辺大連(いしべのおおむらじ)という人が神の助けを得て松、杉、檜などの苗木を植え祈願したところ、たちまち生い茂り大森林になったと伝えられています。後にこの石辺大連は100数拾才迄生きながられたので人呼んで「老蘇」(老が蘇る)と云い、この森を「老蘇の森」と呼ぶようになっています。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

②石寺楽市推定地「保内町」: 日本で最初に楽市が行われた石寺楽市が開催されていた推定地に行ってみました。かなり昔のことですから、現状は田地になっていて何もありませんでした。ここで観音寺城の六角氏に保護されながら、保内商人(八日市)が楽市を行っていたと推定されています。保内商人は鈴鹿山越えの伊勢通商を独占した四本(しほん)商人(石塔(いしどう)、小幡(おばた)、沓懸(くつかけ)、保内)の1つです。
ちなみに、若狭方面の塩魚については五箇商人と呼ばれる5商人が卸売商として通商していました。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

奥石神社: 奥石神社は延喜式内社で御祭神として「天児屋根命」(あめのこやねのみこと、をお祀りしていいます。本殿は天正9年織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じ造営させたもので 国指定重要文化財です。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

次に繖山に向かって、城下町の入口である「構口(かまえぐち)」(現国道8号線・新幹線と旧中山道の交叉する地点)を越え、石寺集落の端にある"現在の"石寺楽市(土産物店)に車を置いて、集落の中に入りました。
観音正寺の巡礼道と下街道の交叉する地点に常夜灯と道標がありました。写真右道標の裏側には「(梵字)すく くハんおんし道(=まっすぐ観音寺道)」とあり、手前で写真撮影する筆者の方向に来ると観音寺道で、昔、織田信長に観音寺城を攻められたとき、六角承禎・義弼父子はこの道を通って、三雲城に逃れています。

 ③下街道常夜灯には          ③道標「左かわんおんし、すぐゑち川」
 「道中安全」と書いてあります。      弘化2年(1845年)の道標
道標には「これより1.3km観音正寺」 道標の「左」とは山に登る方向です。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

③下街道を五箇荘(東)方面を見ています。この下街道はこの先で中山道に合流します。観音寺道は写真手前方向。写真左の白壁の辺りが「佐々木古城跡絵図」に記載された「三十歩御用屋敷」の辺りで、ここは「下御用屋敷」とも呼ばれました。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

観音寺城跡図(川並区有文書所収)の「下御用屋敷」(図では「三千坪御用屋敷」とあります。)近辺を示しました。交叉点に立っています。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

④「三十歩御用屋敷」(下御用屋敷)の裏の「イノ馬場」に当たる区域を上方から見下ろしました。
イノ馬場(=犬の馬場)とは、武芸の鍛錬として行われた犬追物を行なう馬場です。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

景清道: 平安末期、平家再興を祈願するため、京を目指した平家の家人で、悪七兵衛の異名を持つ伊藤景清が通ったとされる道です。六角氏当時にはこの間道は東近江市五個荘町から野洲まで続き、道沿いには寺や武家屋敷が連なっています。今は写真のように、道も細く竹林に覆われて道のところどころに遺構が見られますが、通る人の姿は見かけられません。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

⑥日吉神社前道標: 左が天満宮(御屋形跡)、右が日吉神社・赤坂道になります。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

⑥日吉神社: 蒲生郡志によると「勧請年代詳ならずも坂本日吉の神の分霊を祀れる所なり、佐々木氏山上に城館を築きしに応仁文明(1467~1477)の兵火災屢々起りし為史料存せず僅に慶長10年(1605)社殿造営の棟礼を最古のものとす、其后元禄3年(1690)再建あり、安永8年(1779)修繕を加え文久2年(1862)更に檜皮葺とせり然るに明治36年豪雨連日続き社背の山腹崩壊し社殿転覆す依って氏子再建す。明治10年迄例祭は3月初申の恒例なりしも4月14日に改め御輿渡御は講渡り宵宮渡り管絃渡りの祭式ありしが今は講渡りを廃す。」と記しています。
すなわち、1400年代の兵火で史料が存在しないのでわかりませんが、建物の一番古いものは1605年築です。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

⑦赤坂道(巡礼道): 日吉神社左横の道を上ってゆくと、アスファルトの坂道から石段に変わります。写真は大手道と赤坂道の分岐地点で、日が差して明るい方向が大手道方向ですが、整備されておらず登っては行けないようです。登城道の地図からは左は大手道(本谷道)、石段は赤坂道で、駐車場や閼伽(あか)坂見附を経由して、観音正寺に到達します。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

御屋形跡への石段: まるで天守閣があったかのような大きな石垣の段へと、幅の広い直線の石段を御屋形跡へと上ります。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

⑧御屋形跡石垣: 現在はこの石垣の上には天満宮があり、写真の手前を追手道(表坂道)が通り、観音寺城の大石垣、池田丸に通じています。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

石寺集落内で見られた石垣を示します。これらの山麓の石垣は六角氏の家臣団や商工業者の屋敷地跡と考えられ、至る所に見られました。上の2つは下(三十歩)御用屋敷近くで見られたもので、
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

下の石垣は御屋形跡(天満宮、上御用屋敷)石垣の下の段の石垣です。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

⑨追手道(石寺集落内): 集落内の追手道に当たる所に来て、山上を見上げると、大石垣とかすかに幟も見えます。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

➉下街道(馬場道西側)を教林坊へ: この後、観音正寺にゆかりのある教林坊に向かいます。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

⑪下街道(馬場道東側)を教林坊へ: 集落内は細く狭い街道筋ですが、漆喰壁の蔵のような建物も見えます。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

教林坊: 教林坊に到着しました。かつては観音正寺の末寺で、このような僧坊が三十以上もあり、繁栄を極めましたが、現在はこの教林坊1つを残すのみです。白洲正子の「かくれ里 石の寺」で知られますが、昭和44年1月にここを訪れ、『芸術新潮』に連載の「かくれ里」で紹介しました。教林坊は聖徳太子が観音様のお告げにより林の中で説法されたことに因みます。紅葉の名所として知られています。春と秋に公開されますが、本日は残念ながら閉まっておりました。
2023年3月28日(火)観音寺城下町石寺と沙沙貴神社

本日は、T.O.が担当で案内しました。また、本ブログには沙沙貴組メンバーのH.S.さんとT.T.さんの写真も使わせていただきました。午前中たくさん歩き、お腹もすきましたので、この後、沙沙貴組4名は、昼食兼反省会にて、楽しく喉を潤しました。 文責 岡島

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Posted by joukaku at 18:15 │Comments(0)課題学習
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