2022年05月21日

2022年5月21日(土)第93回例会「宇佐山城址と崇福寺」

宇佐山城址と崇福寺」を探訪地として、第93回例会は織田信長に係わる城郭と天智天皇ゆかりの史跡を巡りました。担当は草津校第43期地域文化学科及び健康づくり学科で、参加は42期生15名・43期生25名計40名でした。
なお、第116回例会でも宇佐山城址を探訪しています。こちらは城址につき、より詳しく記述しています。内容はこちらをご覧ください。

会員居住地によっては当日雨のところもあり、開催が危ぶまれましたが、JR大津京駅に10時集合、JR大津京駅でトイレ・ラジオ体操を済ませた後、

大きく2班に分かれて、最初の目的地織田信長の家来の森可成が1570年築城した宇佐山城址を目指して出発しました。

宇佐山城址は織田政権初期の城の構造をそのまま残している貴重な城跡と言えます。また、石垣は明智光秀によるものと言われ、坂本城が完成した1571年には廃城となっています。
途中、近江大津宮錦織遺跡(大津京遺跡)を見学した後、

映画「ちはやふる」の舞台にもなった近江神宮に立ち寄り、宇佐山城址への急登にとりかかりました。いきなりの登りでかなり息も上がり、遅れる会員も出ましたが、何とか全員三の丸(出曲輪)にたどり着くことができました。

放送設備がある山頂(本丸、主郭)直下や二の丸(副郭)跡には石垣も残り、築城当時を偲ぶことができました。写真は本丸(主郭)の石垣。

宇佐山城縄張図

縄張から想像して作成されたジオラマです。ナカマチ商店街での「いにしえの大津城と大津の城郭企画展」での展示品です。

また、三の丸(出曲輪)跡から眼下には歩いてきた市街地の先に琵琶湖が広がり、参加者はこれまでの苦労が報われたことでしょう。
歴史においては、宇佐山城で森可成が浅井・朝倉軍と対峙して、この眺望から容易に敵軍の動きが察知でき、結局、城主森可成は浅井・朝倉軍との戦いに出て、叡山の僧兵も敵方として加わってきたことから討ち死にしてしまいました。しかし、命を落としながらも城は守りきり、城主は明智光秀に引き継がれています。墓所は聖衆来迎寺にあります。


昼食の時間も近づいてきたことから、急な下山路に足を取られながら、

昼過ぎには昼食場所の近江神宮駐車場に到着。各自持参の弁当を広げ、楽しいお昼のひとときを過ごしました。近江神宮正面階段で集合写真を撮影後、次の目的地崇福寺跡を目指しました。午前中とは違って緩やかな舗装道路を辿り、南滋賀町廃寺跡、百穴古墳群、志賀の大仏(おぼとけ)など、

近江古代史に関する遺跡・文化財を一つ一つめぐり、道の最奥、終着点の崇福寺跡に辿り着きました。

残念だったのは、南滋賀町廃寺跡あたりから小雨に見舞われ、さらに崇福寺跡周辺では路面が荒れていて、午前中の疲れも加わり、結構きつい例会という印象を持たれた会員がいたかもしれません。しかし、崇福寺跡では青もみじの柔らかな木漏れ日とその中で史跡碑がぼんやり光る幻想的な雰囲気に包まれ、KYさんによるプロ顔負けの崇福寺の解説を聞くことができ、普段では体験することのできないすばらしい一日が過ごせたのではないでしょうか。
その後、幸い雨も止み、それぞれ京阪電車、JRの駅を経て帰路につきました。
なお、本文はM.K.さんT.O.さん執筆のレイカディア大学城郭探訪会誌第94号を参考にしています。
次回例会は2022年6月10日(大溝城址)に予定されています。 文責 岡島

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Posted by joukaku at 22:10 Comments(0)例会
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