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2022年12月19日

2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

課題学習のため、佐和山城城下町を下見しました。城下町は、これまでの調査から豊臣期には既に成立していたと考えられます。文禄4年(1595)に石田三成が北近江四郡を領国とする大名とともに佐和山城主となると、佐和山城及び城下町を拡張整備したと考えられています。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

江戸時代に佐和山城を描いた「沢山古城絵図」です。図は西が上になっており、上方に松原内湖が青く描かれています。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

Googleマップによる現在の地図 上は西、北は右側で上記古城絵図と同じ方向にしています。彦根市街地から国道8号線を通って佐和山トンネルを抜け(図の左上)、最初の信号のない交差点(つるやゴルフ彦根店の近く)を図の右(北)に曲がるか(すぐに大手門跡があります)、それを通り過ぎ、国道8号線鳥居本町南の信号(カットハウスSENARIMI近く)を上(西)に折れるかして(外堀跡、内堀跡に向かいます)、古西法寺の集落の中に入ってゆきます。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

拡大した沢山古城絵図による説明 上は西、北は右側
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

土居の前(東側、絵図の下側)を流れる川は、かつての内堀でした。今は下写真のようにコンクリート壁の狭い川(現在の西法寺川又はおまん川)となっていますが、往時は堀は並行する道路(本町筋)近くまで広がっていたと考えられます。
内堀跡の標識: 折れて倒れていました。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

国道8号線鳥居本町南の信号から西に折れ、集落の奥(佐和山の麓)まで行き、そこから内堀跡の南(大手口、西法寺川の上流)側を見ています。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

内堀跡北(西法寺川の下流)側です。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

本町筋に立っています。本町筋と内堀跡を示す標識で、ここより奥(西の佐和山側)に内堀(現 西法寺川)がありました。また、水田の畔等の地表に残された地割に基づいて、本町筋と内堀との間(西、山側)に平行する2本の南北道路を想定する意見があり、現在は畔道になっていますが、畔道の下に「百々町筋」という道があったことが、発掘調査により明らかになっています。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

地図の上が北
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

下写真の道路は本町筋で現在は市道となっており、南を見ています。奥に鉄橋が見えていますが、近江鉄道のものです。この道は当時は城下町のメインストリートでした。内堀の外側は、内掘に沿ったこの本町筋を中心に町屋が存在しました。町屋は「沢山古城絵図」に従うと、この道の両(東西)側にあり、その広がりは、外堀の機能を持った現在の小野川(外堀)を越えて、東山道辺りにまで及んでいたようです。現在はその小野川(外堀)より内側が佐和山町、外側が鳥居本町で、小野川(外堀)が町の境界になっています。鉄橋の向こう(南)に大手門跡があり、本丸から続く大手道と合流していました。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

さらに、近江鉄道鉄橋と大手門跡の間の地点(上の地図の赤く示した地点)では、掘立柱建物(町屋?)、土坑、幅60~90cmの「本町筋」の痕跡と考えられる道路遺構等が検出され、16世紀末頃の陶磁器類・瓦が出土しています。道路遺構には胴木工法が用いられていたことから、本町筋はその工法より織田勢力下にあった丹羽長秀(下の絵)の頃に施設された可能性が想定されています。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

下表の城主磯野員昌の前は、百々内蔵助盛実が城代を務めましたが、六角方から浅井方に転じています。そのため、六角氏は佐和山城を攻略し、百々氏を自決させています。そもそも、佐和山城は湖東と湖北の境目に立地して東山道と下街道の両方が掌握でき、外港として松原湊と朝妻湊のある交通の要衝でした。そのため、六角方、京極・浅井方の双方より、軍事拠点として臨時に利用され、山下に本拠を置く百々氏が城代を務めた特定の城主の置かれない城でした。百々氏の後、浅井長政から南方支配の権限委譲をされて磯野員昌は城主として居城し、佐和山城を臨時の軍事拠点から支配の拠点に変えてゆきます。湖東地域の中心地としての佐和山・彦根の地位はこの時に始まります。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

佐和山城大手門跡表示 上写真の本町筋を奥(南)に行くと、国道8号線の近くで大手口に到達します。東山道(のちの中山道)側に開いていた佐和山城正面の大手門の跡です。かつて、大手門が築かれ、左右には土を盛って築いた土居(土塁)が伸びていました。大手門は彦根市内に現存する宗安寺の表門(赤門)と伝えられており、左右の土居は現在も比較的良好に残っています。大手口から西(山側)に行くと、登城道です。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

こうした土居(土塁)と内堀に守られた内側では、本丸に向かって伸びる登城道の両側に、侍屋敷が軒を連ねていました。侍屋敷は、本丸から伸びる2つの尾根に挟まれた広大な地を占めており、客馬屋や獄屋なども存在したようです。侍屋敷に居住した武士たちは、戦いとなれば両側の尾根に籠って、大手からの敵を挟撃することのできる優れた縄張りとなっていました。

最後に、佐和山城全図を以下に示します。
2022年12月16日(金)佐和山城城下町下見

               文責 岡島 敏広

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