2022年09月22日
2022年9月21日(水)第98回例会「清水山城館跡」下見
台風の通過の2日後に第98回例会の下見をレイ大生7名、ガイドの方2名で行いました。ガイドを引き受けてくださったのは、びわこ高島観光協会から紹介いただいた清水山城楽クラブの方々です。
新旭駅西口で待ち合せ、名刺をいただくと、なんとガイドさんの中に私たちのクラブの創設者で大先輩(地域文化と園芸の2つを卒業とのこと)であるTFさんがいらっしゃるではありませんか? 本日は大先輩直々のガイドをしていただくこととなりました。クラブの昔のお話を聞いているうちに、メンバーが全員揃いましたので、出発です。クラブ例会実施を考慮して、考えているコースの中でトイレの場所を確認すると、駅と城への登り口のスポーツ公園のみでした。駅前駐車場の台数も十分ではないように思えました。

登ってゆきますと、まず最初に地蔵山石仏に出会います。「地蔵」と言う名が付いていても、石仏は阿弥陀如来です。途中で通りすごしてきた地蔵庵の四面石仏を含めて廃寺となっている天台寺院 清水寺(せいすいじ)に関連した石仏と考えられています。

四面石仏(地蔵庵): 通常((薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒如来)とは異なり、阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩のようです。写真正面は阿弥陀如来で、元々は「西屋敷」と呼ばれる場所に安置されていたものが、ここに移されたとのことです。

「東屋敷越中殿(=小字名)」の説明板です。下見では地図から、こちら側に清水寺があったようで探しましたが、残念ながら、9月では草が生えていて礎石などは確認できませんでした(高島市のWebでの解説では西屋敷側のようです)。また、東屋敷、西屋敷ともに写真を撮っても草で何かわかりませんでした。もう少し涼しくなるのを待って、草が枯れれば、様子がわかるのではないかと思います。

「西屋敷加賀殿(=小字名)」の説明板です。先の東屋敷越中殿も含め、官職名があるので屋敷に居住した人を指すと思われ、小字名は高島郡誌303頁の図に記載されています。

清水山城の縄張図です。

大手道に沿って登り、南東尾根曲輪群を進むと堀切があり、一段高い曲輪に登ります。ここを登るのは一苦労です。

せっかく登った曲輪から下りて進み、見上げると畝状竪堀(畝状空堀群)が掘られた主郭がそびえたっています。攻める立場の時、この斜面での横移動が難しいというのは、草が茂り分かってもらいにくいですね。しかし、畝状竪堀は滋賀県では例が少なく、北陸に多いことから、朝倉氏から直接、又は浅井氏を介して技術が伝播したのかもしれません。今日では主郭まではハイキング用にやさしい階段が取付けられていますので、容易に到達できます。

主郭に上ると、周囲の木が切りはらわれ、大パノラマが広がっていました。雰囲気をお伝えするために、パノラマ写真を撮影してみました。本ページ最終でお楽しみください。
主郭の上には、礎石建物があったことが発掘の結果わかっています。ここからは高価な輸入陶磁器を含む出土品が出ており、生活をしていたことがうかがわれます。礎石の位置は、写真のように、目印の石を置いて確認できるようにして、コンクリートで固めてありました。この後、景色を見ながらの昼食です。

昼食後は、琵琶湖をバックにして記念写真です。

午後は、主郭からは2郭を目指します。まず堀切があり、斜面が急でロープを使わないと下りることができません。

2郭と3郭の間は大堀切になっており、最初に10m以上ロープで底まで下ります。

3郭に行くには、大堀切の底から、もう一度ロープで3郭まで登ります。

この後は、再度2郭までロープで登って、山を下りました。
次は、佐々木高信(越中氏始祖)により佐々木氏ゆかりの四神が勧請された大荒比古神社に行きました。佐々木氏の平四つ目紋のある灯籠などが見られます。歴史は古い神社でめずらしい行事も実施していますが、例会本番では歩行距離や時間を考慮して跳ばす予定です。

最後に、新旭駅方向に畑地を通って、小字で「御屋敷」「犬馬場(=犬追物をする場所)」と名付けられている大将軍社まで行きました。地名から、恐らく、城主佐々木越中氏の主殿や会所などの公的施設があったのではないかと推察されます(主郭で発掘されたのは私的施設の常御殿?)。この場所のすぐ北側「大日道」の発掘でも礎石建物跡や区画溝が見つかっています。


このあと、新旭駅まで戻りお別れとなりました。
下見に協力いただいた清水山城楽クラブの皆様及び下見に参加された城郭探訪会員の皆様、お疲れさまでした。また、ありがとうございました。本番は天候良く楽しい例会となることを祈っております。
清水山城主郭からの大パノラマ
余談ですが、非常に見晴らしが良いことから、主郭からは安土山も見え、信長の大船が彦根のあたりからこちらに攻めてくるのが見えたという話があるようです。それならば、信長の大軍勢を見て、越中氏は戦わずして逃げても仕方ないねと話しておりました。また、大船も見える程ですから、余程の大きさだったのでしょう(信長公記には長さ三十間、すなわち約54mと記載されています)。
パノラマ写真は、下のスクロールバーを動かして見てください。

例会本番は2022年10月29日に予定されています。 文責 岡島 敏広
新旭駅西口で待ち合せ、名刺をいただくと、なんとガイドさんの中に私たちのクラブの創設者で大先輩(地域文化と園芸の2つを卒業とのこと)であるTFさんがいらっしゃるではありませんか? 本日は大先輩直々のガイドをしていただくこととなりました。クラブの昔のお話を聞いているうちに、メンバーが全員揃いましたので、出発です。クラブ例会実施を考慮して、考えているコースの中でトイレの場所を確認すると、駅と城への登り口のスポーツ公園のみでした。駅前駐車場の台数も十分ではないように思えました。

登ってゆきますと、まず最初に地蔵山石仏に出会います。「地蔵」と言う名が付いていても、石仏は阿弥陀如来です。途中で通りすごしてきた地蔵庵の四面石仏を含めて廃寺となっている天台寺院 清水寺(せいすいじ)に関連した石仏と考えられています。

四面石仏(地蔵庵): 通常((薬師、釈迦、阿弥陀、弥勒如来)とは異なり、阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩のようです。写真正面は阿弥陀如来で、元々は「西屋敷」と呼ばれる場所に安置されていたものが、ここに移されたとのことです。

「東屋敷越中殿(=小字名)」の説明板です。下見では地図から、こちら側に清水寺があったようで探しましたが、残念ながら、9月では草が生えていて礎石などは確認できませんでした(高島市のWebでの解説では西屋敷側のようです)。また、東屋敷、西屋敷ともに写真を撮っても草で何かわかりませんでした。もう少し涼しくなるのを待って、草が枯れれば、様子がわかるのではないかと思います。

「西屋敷加賀殿(=小字名)」の説明板です。先の東屋敷越中殿も含め、官職名があるので屋敷に居住した人を指すと思われ、小字名は高島郡誌303頁の図に記載されています。

清水山城の縄張図です。

大手道に沿って登り、南東尾根曲輪群を進むと堀切があり、一段高い曲輪に登ります。ここを登るのは一苦労です。

せっかく登った曲輪から下りて進み、見上げると畝状竪堀(畝状空堀群)が掘られた主郭がそびえたっています。攻める立場の時、この斜面での横移動が難しいというのは、草が茂り分かってもらいにくいですね。しかし、畝状竪堀は滋賀県では例が少なく、北陸に多いことから、朝倉氏から直接、又は浅井氏を介して技術が伝播したのかもしれません。今日では主郭まではハイキング用にやさしい階段が取付けられていますので、容易に到達できます。

主郭に上ると、周囲の木が切りはらわれ、大パノラマが広がっていました。雰囲気をお伝えするために、パノラマ写真を撮影してみました。本ページ最終でお楽しみください。
主郭の上には、礎石建物があったことが発掘の結果わかっています。ここからは高価な輸入陶磁器を含む出土品が出ており、生活をしていたことがうかがわれます。礎石の位置は、写真のように、目印の石を置いて確認できるようにして、コンクリートで固めてありました。この後、景色を見ながらの昼食です。

昼食後は、琵琶湖をバックにして記念写真です。

午後は、主郭からは2郭を目指します。まず堀切があり、斜面が急でロープを使わないと下りることができません。

2郭と3郭の間は大堀切になっており、最初に10m以上ロープで底まで下ります。

3郭に行くには、大堀切の底から、もう一度ロープで3郭まで登ります。

この後は、再度2郭までロープで登って、山を下りました。
次は、佐々木高信(越中氏始祖)により佐々木氏ゆかりの四神が勧請された大荒比古神社に行きました。佐々木氏の平四つ目紋のある灯籠などが見られます。歴史は古い神社でめずらしい行事も実施していますが、例会本番では歩行距離や時間を考慮して跳ばす予定です。

最後に、新旭駅方向に畑地を通って、小字で「御屋敷」「犬馬場(=犬追物をする場所)」と名付けられている大将軍社まで行きました。地名から、恐らく、城主佐々木越中氏の主殿や会所などの公的施設があったのではないかと推察されます(主郭で発掘されたのは私的施設の常御殿?)。この場所のすぐ北側「大日道」の発掘でも礎石建物跡や区画溝が見つかっています。


このあと、新旭駅まで戻りお別れとなりました。
下見に協力いただいた清水山城楽クラブの皆様及び下見に参加された城郭探訪会員の皆様、お疲れさまでした。また、ありがとうございました。本番は天候良く楽しい例会となることを祈っております。
清水山城主郭からの大パノラマ
余談ですが、非常に見晴らしが良いことから、主郭からは安土山も見え、信長の大船が彦根のあたりからこちらに攻めてくるのが見えたという話があるようです。それならば、信長の大軍勢を見て、越中氏は戦わずして逃げても仕方ないねと話しておりました。また、大船も見える程ですから、余程の大きさだったのでしょう(信長公記には長さ三十間、すなわち約54mと記載されています)。
パノラマ写真は、下のスクロールバーを動かして見てください。

例会本番は2022年10月29日に予定されています。 文責 岡島 敏広
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)
2025年3月21日(金)城郭OB第88回例会日帰りバスツァー「岩村城跡と城下町」(岐阜県恵那市)
2025年2月27日(木)城郭OB第87回例会「北之庄城(岩崎山城)跡」(近江八幡市)
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」
2024年11月14日(木)城郭OB第84回例会「近江日爪城址」
2024年10月18日(金)城郭OB第83回例会「金ヶ崎城址・金ヶ崎の退き口」(福井県)
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