2025年03月04日
2025年2月27日(木)城郭OB第87回例会「北之庄城(岩崎山城)跡」(近江八幡市)
レイカディア大学34~37期生の共同主催により、近江八幡市の北之庄城跡を探訪地として城郭探訪OB会第87回例会が開催されました。当初の計画は2月21日の予定でしたが、降雪により延期となり、2月27日開催となりました。
今回は35名のOB会会員が参加しました。
例会では参加者はJR近江八幡駅からスタートして、ロープウェイで八幡山に登り北之庄城跡を訪問した後、北之庄神社に下り解散となりました。例会の総歩行歩数は13,000歩でした。
北之庄城は近江八幡市の北部にある北之庄山(254m)の山頂部にあり、築城は室町から戦国時代で土の城です。
城に関する文献史料は、ほとんど見つかっていませんが、「淡海温故録(1684~88)」の中では、
『屋形氏綱(=13代当主六角氏綱)の二男ヲ 八幡(=川端)左馬頭義昌 ト号シ 後口ノ岩崎山(*)ニ在住ニテ 八幡宮ヲ守護セラレシ申也 義昌ノ息 川端左近太夫輝綱ハ 公方光源院(=足利義輝)殿ノ近習ニテ 即同事ニ討死也 六角判官崇永(=4, 6代当主氏頼)ハ 此岩崎山(*)ニ 城ヲ築キ 在城ノ由也 石垣等昔ノ跡 今ニアリ』
(*)岩崎山という呼称については、地元ではヴォーリズ記念病院の裏手にある山周辺のことをそう呼んでいることから、北之庄城に関する記載であると言える史料です。
という記述があり、六角氏頼や六角氏綱、氏綱の子の河端(八幡山)義昌の名前が出て、北之庄城が佐々木六角氏の手によって、観音寺城の付城として築城されたことが記されています。
六角氏頼
また、後の「近江輿地志略(1734)」にも北之庄城に関する記述はありますが、城郭の記述はなく、『・・・阿弥陀寺繁昌の時の寺院跡なるべし。』という編者寒川辰清の推測が述べられており、このときには城郭としての意識はなかったようです。
さらに後の江戸中期(寛政)の八幡山城を描いた絵図の明治43年の写本(江州蒲生郡八幡山豊臣関白秀次古城之図)の北之庄山辺りに「佐々木ノ付城アリ」、別の写本には「佐々木六角ノ附城ノ跡」との説明書きがあります。
JR近江八幡駅集合: 本日はここから北之庄城の探訪です。駅をスタート地点として、そこから八幡山ロープウェイ駅まで2.7kmを歩いて行きました。
近江八幡新町通り: ロープウェイ駅への途中、近江八幡では必ず紹介される有名な新町通りを経由しました。
八幡山ロープウェイ: 35名で団体行動しましたが、ロープウェイ1台の定員25名であることから、2回に分けてピストン運転で八幡山(鶴翼山)頂上に運んでもらいました。
八幡山城西の丸での集合写真: 八幡山に登って、すぐに写真撮影後、昼食を取りました。
里山ハイキングコース(図はクリックにより拡大します。): 北之庄城へは八幡山城北の丸から下りて里山ハイキングコースに沿って向かいます。北之庄城は地図の中の黄色い四角で囲った部分で、本日の目標地点となります。北之庄城見学後、コース図右下の北之庄神社に下りました。
里山ハイキングコース入口: 八幡山城北の丸からコースに入り、八幡山を北の方に下ります。
今週は頻繁に降雪があり、この数日暖かであったことから、八幡山の南面はほとんど雪が残っていませんが、山の北側になると写真のとおり、雪が残っていました。この後のコースも雪が残り、そのために北之庄城城郭の見学には遠回りをして目的地点に行かなければならない所もありました。
八幡山城北の丸石垣: 途中、あまり見ることのない八幡山城北の丸石垣を横に見ながら、八幡山を下りて行きます。
八王子山: コースを進むと、高取の峠や八王子山を通過します。写真のように、この八王子山からは長命寺山が見えました。
北之庄城イラスト(図はクリックで拡大します。): 図中の丸数字は次の場所を示しています。①大堀切・空堀・土橋、②上段曲輪の櫓台(南櫓台)、③七ツ池、④東枡形虎口。
南(図左)側から北之庄城を訪問します。
北之庄城縄張図(図はクリックで拡大します。): 縄張図に今回の見学コースを矢印で、また、この後の説明に使用した写真撮影地点をアルファベットで示しました。
a.北之庄城土橋: b.大堀切(右側・西側)、o.空堀(左側・東側)に架かる土橋を上段曲輪土塁上から見ました。
b.大堀切: 土橋の西側にあり、写真右側の壁は南櫓台まで登る斜面です。
c.北之庄城南櫓台: 斜面を登りきると、そこは北之庄城で最も高所で、北之庄山(深谷山)254mの地点が南櫓台となっています。
d.北之庄城西側土塁と上段曲輪(右側): 南櫓台からそのまま上段曲輪の西側土塁を北に向かって進み、中段曲輪も越え、七ツ池跡を目指します。写真の木が生えている部分は上段曲輪です。
歩いている時には、この先にある i.中段曲輪の場所が分かりませんでしたので、後に確認しました。
e.西虎口側からの七ツ池跡: 「七ツ池跡」と言う名ですが、城の用水池であったと思われるくぼ地が"6箇所"あります。こちらからは、2つ見えましたが、水を湛えている「池」と、水のないくぼ地がありました。
l.東枡形虎口側からの七ツ池跡: 本日の見学コースでは後ほど訪問した場所ですが、西虎口側とは反対の東側から見ると七ツ池跡のうち、3つが見え、そのうち1つが水を湛え、残りの2つは水のないくぼ地でした。
f.北之庄城乾(いぬい)櫓台: 木に架けられた表示には「長命寺港展望台」と記載されていました。木で見えにくかったのですが、この櫓台の位置からも、先の八王子山で見たように長命寺(北西)方面が見えていました。
g.北之庄城北虎口: 本日はこの先には進みませんでしたが、この先に進むと丘陵の北端にある百々神社に至ります。
g.北之庄城下段曲輪: 北虎口の反対側(南側)には、下段曲輪が広がっていました。
h.北之庄城艮(うしとら)櫓台: 北虎口から東に進むと艮(うしとら)櫓台です。ここは木が伐採されていることから、眺望は良く、西の湖、安土山、繖山が見えました。
h.艮(うしとら)櫓台での集合写真。北東方向で向こうに西の湖が見えます。
i.北之庄城中段曲輪: 雪で七ツ池跡周辺が歩行できなかったことから、上段曲輪北側の土塁を歩き、城の東側に移動しました。このとき、土塁の北側に中段曲輪を確認できました。
j.北之庄城上段曲輪北側土塁を進み、上段曲輪の虎口まで行きます。
k.上段曲輪虎口: この虎口を通って中段曲輪を通過し、下段曲輪にある東枡形虎口(大手門)へ行きます。
m.北之庄城東枡形虎口は大手門らしく内枡形の構造が完全な形で残っています。
m.東枡形虎口(大手門)での集合写真: ここで参加者の集合写真を撮影しました。
n.大手道: 大手門から出て大手道を進みます。途中、大手道から外れて上に登り、北之庄城の空堀へと向かいました。
o.空堀に沿って登ると最初に通った土橋(正面)に到達します。上方の土橋上で先に登り終えた例会参加者が待っています。
右側斜面は南櫓台や上段曲輪の斜面です。
北之庄神社: この後、土橋から少し南に向かって、北之庄神社への下山道まで行きました。
最後、写真のように本日のゴール北之庄神社に到達しました。
北之庄神社到着後、参加者の人数を確認して、本日の例会は終了し解散となりました。
本日は、あまり知られていないことから、訪問する機会の少ない北之庄城の複雑な城郭構造を楽しむことができました。例会実施にご尽力いただきました34~37期OB会員の皆様に感謝いたします。
文責 岡島 敏広
次回は、2025年3月26日(水)に岩村城と城下町探訪(岐阜県恵那市岩村町)が計画されています。
今回は35名のOB会会員が参加しました。
例会では参加者はJR近江八幡駅からスタートして、ロープウェイで八幡山に登り北之庄城跡を訪問した後、北之庄神社に下り解散となりました。例会の総歩行歩数は13,000歩でした。
北之庄城は近江八幡市の北部にある北之庄山(254m)の山頂部にあり、築城は室町から戦国時代で土の城です。
城に関する文献史料は、ほとんど見つかっていませんが、「淡海温故録(1684~88)」の中では、
『屋形氏綱(=13代当主六角氏綱)の二男ヲ 八幡(=川端)左馬頭義昌 ト号シ 後口ノ岩崎山(*)ニ在住ニテ 八幡宮ヲ守護セラレシ申也 義昌ノ息 川端左近太夫輝綱ハ 公方光源院(=足利義輝)殿ノ近習ニテ 即同事ニ討死也 六角判官崇永(=4, 6代当主氏頼)ハ 此岩崎山(*)ニ 城ヲ築キ 在城ノ由也 石垣等昔ノ跡 今ニアリ』
(*)岩崎山という呼称については、地元ではヴォーリズ記念病院の裏手にある山周辺のことをそう呼んでいることから、北之庄城に関する記載であると言える史料です。
という記述があり、六角氏頼や六角氏綱、氏綱の子の河端(八幡山)義昌の名前が出て、北之庄城が佐々木六角氏の手によって、観音寺城の付城として築城されたことが記されています。
六角氏頼

また、後の「近江輿地志略(1734)」にも北之庄城に関する記述はありますが、城郭の記述はなく、『・・・阿弥陀寺繁昌の時の寺院跡なるべし。』という編者寒川辰清の推測が述べられており、このときには城郭としての意識はなかったようです。
さらに後の江戸中期(寛政)の八幡山城を描いた絵図の明治43年の写本(江州蒲生郡八幡山豊臣関白秀次古城之図)の北之庄山辺りに「佐々木ノ付城アリ」、別の写本には「佐々木六角ノ附城ノ跡」との説明書きがあります。
JR近江八幡駅集合: 本日はここから北之庄城の探訪です。駅をスタート地点として、そこから八幡山ロープウェイ駅まで2.7kmを歩いて行きました。

近江八幡新町通り: ロープウェイ駅への途中、近江八幡では必ず紹介される有名な新町通りを経由しました。

八幡山ロープウェイ: 35名で団体行動しましたが、ロープウェイ1台の定員25名であることから、2回に分けてピストン運転で八幡山(鶴翼山)頂上に運んでもらいました。

八幡山城西の丸での集合写真: 八幡山に登って、すぐに写真撮影後、昼食を取りました。

里山ハイキングコース(図はクリックにより拡大します。): 北之庄城へは八幡山城北の丸から下りて里山ハイキングコースに沿って向かいます。北之庄城は地図の中の黄色い四角で囲った部分で、本日の目標地点となります。北之庄城見学後、コース図右下の北之庄神社に下りました。

里山ハイキングコース入口: 八幡山城北の丸からコースに入り、八幡山を北の方に下ります。
今週は頻繁に降雪があり、この数日暖かであったことから、八幡山の南面はほとんど雪が残っていませんが、山の北側になると写真のとおり、雪が残っていました。この後のコースも雪が残り、そのために北之庄城城郭の見学には遠回りをして目的地点に行かなければならない所もありました。

八幡山城北の丸石垣: 途中、あまり見ることのない八幡山城北の丸石垣を横に見ながら、八幡山を下りて行きます。

八王子山: コースを進むと、高取の峠や八王子山を通過します。写真のように、この八王子山からは長命寺山が見えました。

北之庄城イラスト(図はクリックで拡大します。): 図中の丸数字は次の場所を示しています。①大堀切・空堀・土橋、②上段曲輪の櫓台(南櫓台)、③七ツ池、④東枡形虎口。
南(図左)側から北之庄城を訪問します。

北之庄城縄張図(図はクリックで拡大します。): 縄張図に今回の見学コースを矢印で、また、この後の説明に使用した写真撮影地点をアルファベットで示しました。

a.北之庄城土橋: b.大堀切(右側・西側)、o.空堀(左側・東側)に架かる土橋を上段曲輪土塁上から見ました。

b.大堀切: 土橋の西側にあり、写真右側の壁は南櫓台まで登る斜面です。

c.北之庄城南櫓台: 斜面を登りきると、そこは北之庄城で最も高所で、北之庄山(深谷山)254mの地点が南櫓台となっています。

d.北之庄城西側土塁と上段曲輪(右側): 南櫓台からそのまま上段曲輪の西側土塁を北に向かって進み、中段曲輪も越え、七ツ池跡を目指します。写真の木が生えている部分は上段曲輪です。
歩いている時には、この先にある i.中段曲輪の場所が分かりませんでしたので、後に確認しました。

e.西虎口側からの七ツ池跡: 「七ツ池跡」と言う名ですが、城の用水池であったと思われるくぼ地が"6箇所"あります。こちらからは、2つ見えましたが、水を湛えている「池」と、水のないくぼ地がありました。

l.東枡形虎口側からの七ツ池跡: 本日の見学コースでは後ほど訪問した場所ですが、西虎口側とは反対の東側から見ると七ツ池跡のうち、3つが見え、そのうち1つが水を湛え、残りの2つは水のないくぼ地でした。

f.北之庄城乾(いぬい)櫓台: 木に架けられた表示には「長命寺港展望台」と記載されていました。木で見えにくかったのですが、この櫓台の位置からも、先の八王子山で見たように長命寺(北西)方面が見えていました。

g.北之庄城北虎口: 本日はこの先には進みませんでしたが、この先に進むと丘陵の北端にある百々神社に至ります。

g.北之庄城下段曲輪: 北虎口の反対側(南側)には、下段曲輪が広がっていました。

h.北之庄城艮(うしとら)櫓台: 北虎口から東に進むと艮(うしとら)櫓台です。ここは木が伐採されていることから、眺望は良く、西の湖、安土山、繖山が見えました。

h.艮(うしとら)櫓台での集合写真。北東方向で向こうに西の湖が見えます。

i.北之庄城中段曲輪: 雪で七ツ池跡周辺が歩行できなかったことから、上段曲輪北側の土塁を歩き、城の東側に移動しました。このとき、土塁の北側に中段曲輪を確認できました。

j.北之庄城上段曲輪北側土塁を進み、上段曲輪の虎口まで行きます。

k.上段曲輪虎口: この虎口を通って中段曲輪を通過し、下段曲輪にある東枡形虎口(大手門)へ行きます。

m.北之庄城東枡形虎口は大手門らしく内枡形の構造が完全な形で残っています。

m.東枡形虎口(大手門)での集合写真: ここで参加者の集合写真を撮影しました。

n.大手道: 大手門から出て大手道を進みます。途中、大手道から外れて上に登り、北之庄城の空堀へと向かいました。

o.空堀に沿って登ると最初に通った土橋(正面)に到達します。上方の土橋上で先に登り終えた例会参加者が待っています。
右側斜面は南櫓台や上段曲輪の斜面です。

北之庄神社: この後、土橋から少し南に向かって、北之庄神社への下山道まで行きました。
最後、写真のように本日のゴール北之庄神社に到達しました。

北之庄神社到着後、参加者の人数を確認して、本日の例会は終了し解散となりました。
本日は、あまり知られていないことから、訪問する機会の少ない北之庄城の複雑な城郭構造を楽しむことができました。例会実施にご尽力いただきました34~37期OB会員の皆様に感謝いたします。
文責 岡島 敏広
次回は、2025年3月26日(水)に岩村城と城下町探訪(岐阜県恵那市岩村町)が計画されています。
2025年5月14日(水)城郭OB第90回例会「上野城趾・滝川城跡探訪と油日神社・櫟野寺拝観」(甲賀市)
2025年3月21日(金)城郭OB第88回例会日帰りバスツァー「岩村城跡と城下町」(岐阜県恵那市)
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」
2024年11月14日(木)城郭OB第84回例会「近江日爪城址」
2024年10月18日(金)城郭OB第83回例会「金ヶ崎城址・金ヶ崎の退き口」(福井県)
2024年6月15日(土)第116回例会「宇佐山城跡と近江神宮から近江大津宮へ」
2025年3月21日(金)城郭OB第88回例会日帰りバスツァー「岩村城跡と城下町」(岐阜県恵那市)
2024年12月5日(木)城郭OB第85回例会「佐和山城と大洞弁財天を巡る」
2024年11月14日(木)城郭OB第84回例会「近江日爪城址」
2024年10月18日(金)城郭OB第83回例会「金ヶ崎城址・金ヶ崎の退き口」(福井県)
2024年6月15日(土)第116回例会「宇佐山城跡と近江神宮から近江大津宮へ」
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joukaku
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