個人旅行で、沖縄県竹富町竹富島の①
小城盛(クスクムイ)と②
蔵元を訪問しました。
①
小城盛(クスクムイ又はクスクムリ): 小城盛と書いてクスクムリ(またはクスクムイ)と読みます。
竹富島: 沖縄県八重山郡竹富町竹富にある琉球王国時代の遠見の番人の詰め所、
遠見番所(とおみばんしょ)です。
世持御嶽の裏手にある火番盛(ひばんむい)です。「火番盛」とは火を焚く丘という意味を持ちます。地元では遠見台のことを火番盛と呼び、火番盛は他の島々にもあり、石垣島に限らず、八重山の他の島々でそう呼ばれる傾向があります。これらを合わせて「
先島諸島火番盛」として国の文化財に指定されています。
昔、電話など連絡方法がない時代に、ここで付近の海上を行く貢船や異国船を監視し、それらが通った際、また、何か有事のことが起こった際には、狼煙をあげて石垣島の蔵元に通報するために、火番所の役割として建てられた場所でした。上面には方位を刻んだ石もあります。
『球陽』という琉球の古文書には、1644年、船(主に異国船)が見えた時に素早く中山(王府)に情報を伝達する手段として遠見台を作ったことが記されています。宮古、八重山を含む先島諸島は、地理的条件から、スペインや中国(清国)の寄港を想定して遠見台が設置されたそうです。琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面する地域で、要所であるという認識でした。
この時期に遠見台が作られた理由については、江戸幕府の鎖国政策が深くかかわっているといわれます。鎖国体制下において、同施設は、薩摩藩支配下の琉球王府によって設置され、王府から派遣された与人(副首長)と、目差(補佐)が常駐し海上交通の監視・通報(烽火)機能を担いました。役割は、竹富島に発着する船舶管理に加え、人頭税の徴収であったとされます。
小城盛南東面
小城盛南面
小城盛上部の石碑
小城盛階段
小城盛天面
当時、こういった役割の見張り台は八重山諸島の島々にあり、黒島にある
プズマリ、与那国島にある
グテイクチデイ、波照間島にある
コート盛などが同様のもので観光ポイントとして有名です。もちろんそういった役割の場所のため、見晴らしもとても良いです。竹富島を含めた
先島諸島火番盛は、「対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡として重要である」として、平成19年(2007)3月23日に国指定史跡となりました。その後、追加指定されて、現在は19箇所がセットで国指定史跡に指定されています。
②
竹富島蔵元跡: 八重山統治の最初の役所(番頭)の跡地で、
カイジ(皆治)浜(星砂の浜)の入口近くにあり、かつて八重山を統治した初代頭職、
西塘(にしとう)氏が役所として使っていた場所です。県の指定文化財にもなっていますが、
1543年に石垣島に移され、現在は石垣が残るのみとなっています。
尚真王を25年にわたって支えた西塘(にしとう)が勲功を認められて王府の代官である武富大首里大屋子の頭職に任じられた際に、西塘の出身地である竹富島に蔵元をおきました。その後、竹富港の整備が難しく、1543年 に石垣島の大川村へ移転しました。1633年に蔵元は八重山キリシタン事件で処刑された本宮良頭石垣永将の屋敷跡である現在の
石垣市立八重山博物館の隣の場所に移転されました。1771年になると明和の大津波により大きな被害を受けたため、一時的に高台になっている大川村の文嶺へ移転し、その後、1775年に大川村のフンナへ移転しました。1815年には利便性を鑑みて現在の八重山博物館隣地に戻ってきました。
文責 岡島 敏広