本日は、レイカディア大学の課題学習で、
膳所城下町の
情報収集のため、城下町を学ぶ課題学習グループ"沙沙貴組"4名で旧東海道に沿って膳所城下町を巡りました。
膳所城及び城下町に関する情報は、本ブログの別の報告(
大津城と膳所城、
膳所城 城下町 膳所五社巡り)にもまとめられていますので、そちらもご覧ください。
JR膳所駅からスタートし、「急がば回れ」で有名な、矢橋港から渡し船が到着した石場津、また、かつて石場常夜灯も置かれていた呼次松(よびつぎまつ)児童公園に向かいます。すなわち、渡し船に乗って大津に着いたときの気分を味わう趣向です。
"旧石場"の碑(滋賀県大津警察署北西角): 大津警察署の角で、呼次松児童公園と並ぶ所に「"旧石場"の碑」が建てられておりました
呼次松(よびつぎまつ)児童公園: 大津が東海道の宿場町、琵琶湖の港町として栄えていた頃、街道と港が接するこの公園のあたりに「
呼次松」という名木と渡しの目印として
石場津の常夜灯がありました。
ここからは、下の膳所城下町古地図に描かれた旧東海道に沿って、城下町を巡ります。コースの訪問地を膳所城下町の古地図に丸番号で示します。
この地図はクリックにより拡大します。町屋を含めた膳所城下町の詳細図は
こちらをご覧ください。
①膳所城北総門跡: 大津口の総門(北総門)があり、ここから膳所城下町に入ります。
勢多口の南総門と異なり、こちらの総門の門は残されていません。この後、写真のカーブをクランク状に曲がった後、西の庄を旧東海道に沿ってまっすぐ進んで
石坐(いわい)神社を右に見ながら、
②古地図では島になっている枡型の防塁跡(現在は堀は埋め立てられています)に入ります。古地図の防塁跡手前の地点で、自動車道が左に曲がって大きく迂回した(新しい道)後に旧東海道に接続しているのに対し、"本当の旧東海道"は、写真のようにほぼそのまま路地をまっすぐ進み、古地図で④と書いた島状の防塁跡に入って行きます。
③相模川と旧東海道: ガードレールが設置された相模川の手前で、"本当の旧東海道"は写真正面のベージュのお家の右にある鉄板の橋を渡って、路地をさらに進みます。
④写真のように"本当の旧東海道"である路地を進んで、自動車道となっている旧東海道に南から(路地を左に曲がって)合流します。島状の防塁の南と東の辺を歩いていることになります。
⑤響忍寺(こうにんじ): 防塁跡を過ぎ、自動車道/旧東海道に合流して少し進むと響忍寺(こうにんじ)です。響忍寺は元は膳所城周辺にあった真宗大谷派の寺ですが、火災により焼失し、宝暦元年(1751)に膳所藩家老・村松八郎右衛門屋敷跡に再建されました。表門には屋敷の長屋門がそのまま使われています。写真はその長屋門の裏側です。長屋門から本堂へ行く途中、境内を仕切る
中門があり、それも屋敷の門でしたが、今はありません。この家老屋敷は、先ほど通ってきた島状枡型の防塁を弓や鉄砲で直接攻撃できる位置にあります。
⑥敬願寺: 1573年僧宗永が開基した寺で、真宗東本願寺の末寺です。宗永は近江源氏佐々木六角氏の一族ですが、1571年六角家が没落した時に出家し、この地に庵室を建て子孫が継いできました。美しい白壁の武家の長屋門を持っています。
⑦和田神社: この先に膳所高校がありますが、高校は膳所藩の藩校遵義堂の跡に建てられています。そちらの入り口にあった門がここに移築されています。高麗門です。
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北大手門のあたり: 中堀は埋め立てられて、駐車場となっていますが、
篠津神社にここにあった北大手門が移築されています。高麗門です。この近くの個人宅に
舟つなぎ石が残されています。
⑨宿屋: 旧東海道と大手道が交差するあたりに、膳所藩への使者向けの宿屋があります。
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中大手門の碑: 旧東海道と大手道が交差するあたりにひっそりと碑がありました。絵図が残されており、絵図の中堀の上側に中大手門が描かれています。また、絵図の説明にありますように、旧東海道沿いの町屋は藁葺の屋根で描かれています(絵図をクリックで拡大)。
➉中堀跡: 旧東海道と大手道が交差する近くの民家の駐車場が昔の中堀だったそうです。
⑪天守跡の碑: 膳所城跡公園に入り北側の天守跡の碑まで来ました。
⑪ここには下の屏風絵とは異なりますが、4重4階の天主が建てられていました。
縄張から想像して作成されたジオラマです。ナカマチ商店街での「いにしえの大津城と大津の城郭企画展」での展示品です。
⑪本丸石垣: 天守閣の碑の湖岸側には石垣が残っており、その積み方から、
膳所城が築城されていた当時からのもののように思われました。
⑫南大手門のあたり: マンションになっています。
鞭崎八幡宮にここにあった南大手門が移築されています。この道路と右の民家が中堀でした。
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篠津神社: 膳所城の北大手門が移築されています。膳所城取り壊しの後、明治5年(1872)にここで再建されたことが棟札からわかっています。門は高麗門です。
⑭瀬田口近くのカーブ: 城下町の南口近くの最後のカーブで、次のカーブは勢多口総門です。
⑮若宮八幡神社: 膳所城が廃城となった後、本丸の犬走門を移築したものと伝えられています。門は脇戸付高麗門です。犬走とは、土塁や石垣の外側につくられた通路の様な平地をいうことですが、本丸のどの辺りにあったものか明確ではありません。
⑯勢多口総門跡: 膳所城下町の南の入口にあたります。「膳所城勢多口総門跡」の石碑が建つお家の左隣りが今はマンションとなっていますが、以前は番所であった古い家がありました。また、ここに建てられていた勢多口総門(南総門)は高麗門で、建部神社に移築されていましたが、昭和9年の室戸台風で倒壊して、実業家で日本美術コレクターの細見古香庵が購入し、
大阪府泉大津市松之浜に移築されています。今回は、同級生のH.I.さんの案内により、城下町を北から南まで通して巡りました。入念に調査した情報に基づいて解説をしていただいたことから、巡ったコースを古地図にあてはめ復習すると、膳所城下町は、防御を深く意識した町であることを改めて実感いたしました。すばらしい機会を設定いただきましてありがとうございました。
この後、沙沙貴組4名は、反省会にて楽しく喉を潤しました。 文責 岡島